「評伝」ジョー・スタンカ

2018年の日本シリーズが始まる2週間ほど前の15日、ジョー・スタンカ元投手が87歳で亡くなったという報を聞いた。スタンカといえば日本シリーズといわれるくらいだから、この時期の訃報は妙な縁を感じた。
 「円城寺 あれがボールか 秋の空」
 読み人知らずといわれるこの句は、日本シリーズにおけるスタンカの心情をとらえたもので、シリーズ裏面史として多くの野球人は心得ている。
 1961年(昭和36年)の日本シリーズ、巨人-南海第4戦(後楽園)。3-2で迎えた9回裏二死満塁。南海の救援スタンカは4番エンディ宮本をカウント2ストライク1ボールと追い込み4球目を外角低めに投げた。ストライクを確信した捕手の野村克也は捕球と同時に立ち上がった。だが、主審・円城寺満の判定は「ボール」。抗議でもめた後の5球目、同じ外角球を右翼線に打ち返されて逆転サヨナラ負け。
 その4球目が“スタンカの1球”として語り伝えられている。スタンカは4球目のジャッジに対し、両手を高く上げて主審に詰め寄り、5球目の後はホームカバーに入るとき体当たりして主審を横転させた。怒りの元が4球目で、判官びいきもあって哀れを誘う一句となった。
 彼のハイライトは、実は64年の阪神との日本シリーズである。東京オリンピックの年で日本シリーズ初のナイターとなった。第1戦に完封、さらに第5、6戦を連続完封という離れ業を演じている。1シリーズ3完封は半世紀以上も破られていない大記録で、まず不滅だろう。この年26勝を挙げており、公式戦と日本シリーズでダブルMVPに輝いた。
 身長2㍍近い巨漢で迫力満点。大リーグでは1勝しかしておらず、来日は妻子を連れ一家で来た。まさに「生活をかけて」だった。65年秋、入浴中の長男がガス不燃焼で中毒死。翌年大洋に入ったが6勝13敗。剛球と多彩な変化球は姿を消していた。息子を亡くしたショックがありありだった。(菅谷 齊=共同通信)