第10回 開幕戦はお正月、尾頭つきのタイで3連発だ-(露久保孝一=産経)   

プロ野球の開幕は、桜の花が咲き終わったあとに迎えるのが通例である。2019年は3月29日、セ・パ同時に開幕する。開幕は、昔から球界にとって、長い戦いに挑む初陣であり、それゆえに「お正月」と呼ばれた大事な日なのだ。
 そのため、多くの選手たちは「尾頭つきの鯛」や「赤飯」などを食べて気分を新たにし、球場に向かうのである。現在でも、その験(げん)をかついでそれらを食している選手もいる。実際に、戦いの上で開幕戦は重要な1試合なのである。

▽絶対エース・斉藤から劇的な3ホーマーを放った小早川

1997年のセ・リーグで、そのことを如実に物語る劇的な開幕戦があった。演じたのは、小早川毅彦である。広島からヤクルトに移籍した年に、巨人を相手に3打席連続ホームランを放った。巨人の先発・斎藤雅樹は、前年まで3年連続開幕完封勝利をあげていた「絶対的なエース」である。
 当時の巨人は、スラッガーの清原和博を西武から獲得するなど、大幅な補強を行い、投打ともにリーグ随一の布陣を誇った。
 巨人に対し、ヤクルトは戦力的に劣り、前年は4位に低迷している。斎藤は、ヤクルトをカモにしており、巨人断然有利な開幕状況だった。そのサイドスローのエース斎藤を攻略するには、左打者の小早川の打棒に期待するところもあった。
 野村克也監督は「5番」に抜擢した。小早川は、満額回答の3連続弾を見舞い、チームの勝利に貢献したのだ。
 この勝ちは、ただの1勝ではなかった。ヤクルトは幸先よいスタートを切り、そのままペナントを突っ走り、リーグ制覇に結びつけた。さらに、日本シリーズも制したのである。

▽「考える野球」知り再生、最終戦にも打って「めでタイ」な

小早川といえば、PL学園高から法政大学を経て、1994年に生まれ故郷でもある広島に入団した強打者だ。広島では、中心打者の一塁手として活躍、「赤ヘルの若大将」といわれた。
 しかし、プロ11年目からレギュラーの座を外れ、96年は8試合のみの出場で、翌年ヤクルトへ移った。ヤクルトには、戦力ダウンした選手を復調させて試合で活躍するように育成する「再生工場」と呼ばれた野村監督がいた。
 小早川は、強打者によく見られる傾向だが、鋭い天性の勘をもち、投手の配給など読まなくても打てた打者だった。しかし、年齢とともに力が衰えてくると、なかなか勘だけでは打てず、ベンチを温めることが多くなってくる。そのような状況に追い込まれて小早川はヤクルトに移ったのだが、野村監督の「考える野球」を知って、開幕戦から派手な「再生」を果した。
 小早川は、開幕戦に続いて、最終試合の終幕戦にもホームランする珍しい記録をつくった。まさに、正月が二度来たような小早川のバットであった。プロ野球のいつか来た道は、開幕戦でもペナントレースでもこんな「おめでタイ」物語を待っているのである。(続)