第15回 炎のストッパー(島田健=日本経済)

◎カープファンが熱く歌う

▽直球勝負のファイアマン

「炎のストッパー」といえば、広島の津田恒実が思い浮かぶ。入団1年目の1982(昭和57年)に先発として11勝6敗の成績で新人王に選ばれた。しかし、右手中指の血行障害に悩まされ、手術後は、長いイニングが無理、かつ変化球が投げづらいという理由で抑えに転向。ほとんど直球勝負の投球で、ファンを熱くさせる投球を見せた。
 現在パンクロッカーの矢野昌大(75年生まれ)は小学5年生だった86年、「津田さんの投球が見られるだけで、うれしくて震えた」とブログに記している。この年、後楽園球場で、巨人の原辰徳が津田の速球をファウルした際に骨折したのが特に印象的だったそうだ。根っからのカープファンでもある。

▽悲劇のヒーロー

89年には12勝5敗28セーブで最優秀救援投手となり、順風満帆に見えた津田だが、ひどい頭痛が脳腫瘍のためと分かり、91年には退団、93年に32歳で短い生涯を閉じた。
 あまりに悲劇的な野球人生に95年には演歌の山本譲二が津田のレクイエムという「星空の鎮魂歌」を出した。だが、歌詞も演歌調でインパクトに欠けた感があった。大人になった矢野が09年に発表した初アルバムの巻頭を飾ったこの曲は、ダミ声ながらストレートなロックで津田の凄さを表現した。

▽男と男の真っ向勝負

「俺の名前が呼び出され大歓声が鳴り響く」「勝負は終盤 絶体絶命のピンチ」「逃げはしないぜ 己に勝つために」「弱気なサインじゃ首を縦に振らねえぜ」「剛速球打てるなら打ってみろ」「俺が俺に勝つための直球勝負」「男と男の真っ向勝負」全ての魂をストレートに込め」「男が燃えて 熱き血が燃えて 俺は炎のストッパー」

▽広島東洋カープ公認

広島一途の矢野は10年には広島東洋カープ公認という「カープロード」をリリース、津田没後20年の13年には、津田が座右の銘にしていた「弱気は最大の敵」というミニCDを出した。中身は「炎のストッパー」と内容はほぼ同じだが、津田を忘れて欲しくないという強い意思表明だった。コーラスとの掛け合いは「一球入魂 弱気は最大の敵」「一生直球 弱気は最大の敵」「一生入魂 弱気は最大の敵」「生涯直球 弱気は最大の敵」

▽誓いのボール

元々は気が弱いところがあったという津田。座右の銘にした「弱気は最大の敵」「一球入魂」はそれを克服するためのものであったろう。二つの言葉を記したボールを肌身離さず持ち、登板する前にはそのボールに向かって気合を入れたそうだ。矢野の「弱気は最大の敵」のジャケットの表は津田のガッツポーズで、裏は何度も握りしめて黒ずんでしまったそのボールの写真が飾られている。(了)