「いつか来た記者道」(15)-(露久保孝一=産経) 

◎琉球ブルーと北海道ファイターズが戦う日

2020年夏の東京オリンピックが過ぎたあと、次はプロ野球界に大変革が訪れるかもしれない。プロ野球は、セ・パ6球団ずつの計12球団制が60年以上も存続している。その球団が増えて、14球団か16球団のプロ野球編成になる可能性が高まったのである。

▽アドバイザーに田尾安志、目標はNPB

南国に新球団誕生、というビッグニュースが19年夏、球界とファンを驚かせた。沖縄県初のプロ野球球団「琉球ブルーオーシャンズ」の設立が、地元で発表された。
 東京に本社があるBASEは、宜野湾市と浦添市を本拠地にするため現地に球団事務所を設立し、地元での組織作りを開始した。同社の北川智哉代表は、20年1月にチーム始動し、「将来は日本野球機構(NPB)に参入したい」と目標を語った。
 エグゼクティブ・アドバイザーに元楽天監督で野球評論家の田尾安志氏、球団社長には元横浜DeNAの小林太志氏が就任した。夢は、巨人、ソフトバンクなど現在のプロ球団と戦うことなのである。

▽元祖沖縄の星・安仁屋から続々プロ選手

沖縄といえば、プロ野球で活躍している同県出身選手も多い。
 沖縄からプロ団に入った第1号は、オールドファンには懐かしい広島の安仁屋宗八(あにや・そうはち)である。第1回東京五輪の1964年にプロ入団。「巨人キラー」として、華やかなさとともに悲壮感を漂わせたスリークォーターからの熱血投法は、多くのファンを魅了した。
 当時の広島は弱小チームで、安仁屋は入団以来負け越したが、5年目の68年に「素質が開花」して「勝てる投手」に変身する。23勝11敗の好成績で広島をAクラスに押し上げた。
 沖縄では、テレビ中継はほとんどが巨人戦で、強い巨人を相手に力投する姿は英雄であり、「安仁屋フィーバー」が続いた。
 75年に阪神に移籍すると、中継ぎで連投を重ね、12勝5敗7セーブ、防御率1.91で最優秀防御率とカムバック賞に輝いている。
 安仁屋のあとも、沖縄から76年に赤嶺賢勇投手がドラフト2位で巨人に入り、さらに、阪急・石嶺和彦、大洋・デニー友利ら一軍で活躍する選手が登場している。

▽静岡、四国などでも新球団が誕生するか

プロ野球界には球団のフランチャイズを全国に広め、球団を増やそうという意見は古くからある。国会でも論議になっており、安部晋三首相も地域活性化に役立つとして、賛成の意向を示している。
 福岡のソフトバンク、北海道の日本ハム、仙台の楽天は地元密着で人気を呼び、球団経営として成功している。すでに、静岡県、北信越、四国などが新球団設立の候補地に上っているが、球団空白地域の沖縄が名乗りを上げ、将来の全国フランチャイズ制の実現に一石を投じた。
 琉球ブルーオーシャンズはどんな監督、選手たちのチームになるのか。「琉球対北海道」の試合となれば、地方情緒豊かな戦いとなって「夢のカード」となるかもしれない。(続)