山崎裕之インタビュー(4)―(露久保孝一=産経)

◎長年レギュラーを守り抜いた栄光

▽1番から9番まで全打順を経験

―山崎さんは、二塁手のレギュラーの座について長い間プレーした。これは、重要なことだと思う。
山 崎「チームにとって必要な選手であるために、と意識することはプロとしての務めだから…。そのために、心技体ともにいい状態を保つよう自分なりに努力してきた」
―どんなことを意識してプレーしてきたのか?
山 崎「僕のプレーは、機において対応していく、という“つなぎ”の役割。それはつまり、その時の状況に応じてやるべきことを瞬時に判断し、ベストを尽くす、という心掛けである。(ロッテ主砲の)アルトマンが故障で欠場した時は、僕が四番を打った。一番から九番まで、全部の打順を経験した」
―どんな打順でも応じられる才能と力があった、というのは山崎さんならではのこと。
山 崎「打順によっては、気持ちに切り替えも必要になる」

▽時には派手に、1イニング2発を2度

通算2000安打を放ち、祝いのセレモニーで(西武時代)=山崎氏提供

通算2000安打を放ち、祝いのセレモニーで(西武時代)=山崎氏提供

―長いプロ生活で、山崎さんは19年目に史上18人目の通算2000本安打に到達した。この時は、どうだったか?(西武時代の1983年9月17日のロッテ戦で三回、仁科から先制の三塁打を放ち達成。かつての僚友有藤通世から祝福の握手を求められる)
山 崎「やはり、うれしかった。長年レギュラーとしてやってきて、ゲームに出ていたからこそ出来た数字だから、それを実感した」
―いろんな記録の中で、これは自分にとっての“栄光だ”と思うものは何ですか?
山 崎「栄光は、やはりドラマチックなものかな。感動したのは、逆転サヨナラ満塁本塁打!」(1979年10月3日、西武球場での南海戦)
―逆転、満塁、サヨナラ、本塁打…。四つの大輪の花が一度に花開いちゃったような。
山 崎「まさにその通り、狂喜乱舞みたいな。チームの負けを土壇場、勝利に変えたということで興奮した」
―劇的なことは、チーム全体が盛り上がる。
山 崎「1イニング2本塁打もあった。ロッテから西武に移って2年目。(1980年8月7日の近鉄戦で)七回に、満塁で回ってきて本塁打を放ったあと、打者一巡してソロ本塁打した。3年後には、また1イニングにソロと満塁ホーマーを記録した。2度も同じことを。珍しい記録だね(笑)」

▽引退前年にリーグ1位の得点と二塁打

―山崎さんは79年、ロッテから西武へトレードされた。その時は、どんな思いだった?
山 崎「前年オフに、ヤクルトの広岡達朗監督から誘われた。行こうかな、と思ったが、球団の様子を見て断った。結局、根本陸夫さん(監督)から誘われて西武に入った」
―西武では6年間プレーした。84年に現役引退したが、その前年にリーグ1位の96得点と二塁打30を記録している。
山 崎「体力に自信はあったから、思う存分プレーができた。全力でやってきたことが、最後の方で2つのいい数字に結びついたかなと思う」(続)