「大リーグ ヨコから目線」(22)-(荻野通久=日刊ゲンダイ)

◎「カネダ? フー? フォー ハンドレッド ウィン?」

▽聞かれるのは「オーさんは元気か」

 去る10月6日、金田正一さんが敗血症のため亡くなった。長い日本のプロ野球界の歴史で数々の大記録を打ち立てた大投手だった。中でも通算400勝、通算奪三振4490は王貞治の通算868本塁打とともに2度と破られない、不滅の記録を言われている。
 ところが王貞治と比べると金田の名前は大リーグではほとんど知られていないようだ。現役時代、私は十数年にわたって大リーグの取材に出かけたが、メジャーの選手や球団関係者に聞かれるのはいつも王のことだった。残念ながら金田は話題にのぼったことがなかった。
 「ミスターオーは元気なのか?」
 「オーさんは今、何をやっているのか?」
 と、しばしば尋ねられた。その都度、「○○球団の監督をしている」「テレビのコメンテーターをしている」などと説明。また日米野球で来日したメジャーリーガーが王と記念写真を撮ったり、サイン入りバットをもらったりするのは見慣れた光景だ。
 毎年、オールスターゲームの前日に「ホームランダービー」という大イベントがあるように、メジャーの選手もファンもホームランが大好き。ハンク・アーロンの持つ通算755本の大リーグ記録を破った王は人気があり、尊敬されているのは理解できる。第1回WBCで日本代表を指揮、優勝に導いた。それでも金田の通算奪三振記録もその後、ノーラン・ライアン(5714)に抜かれるまで、日米を通じてナンバー1。通算400勝もサイ・ヤング(511勝)、ウォーレン・スパーン(417勝)に次ぐ、日米通じて歴代3位だ。

▽日米野球でマントルから3奪三振

 金田は日米野球でもメジャーに強い印象を残している。プロ6年目の1955年(昭和30年)10月23日のヤンキース戦で先発。5回を6安打4失点しているが、そのシーズンのア・リーグ本塁打王(37本)のミッキー・マントルから3打席連続三振(見逃し、見逃し、空振り)を奪うなど計8奪三振。マントルも「うまく(タイミングを)を外された」と脱帽。ヤンキースのステンゲル監督は「金田はコントロールのよい投手。カーブが実によかったので、多くの三振を喫してしまった」と褒めている。当時、金田は22歳。その後の日米野球でも何度も登板している。
 2005年、ヤクルトで背番号34を背負って投げたリック・ガトームソンにインタビューした。そのとき、
 「チームの34の背番号はかつて400勝した金田正一という大投手が付けていた。知っているか?」
 と質問したら、
 「カネダ?フー?フォー ハンドレッド ウィン?アンビリーバブル!(金田って誰?400勝?信じられない)」
 と言われてしまった。
 かつて対戦した打者、あるいは投げ合った投手からは、
 「金田の速球は160㌔くらい出ていた」
 と証言するのも少なくない。先のステンゲル監督は、
 「速球とカーブがあればアメリカでは三振が取れる」
 と日米野球の来日時に語っていた。正確なコントロールに加え、160㌔の速球と大きなカーブ。まさにメジャーで通用する条件を備えていたことになる。
 もし、全盛時に金田がメジャーに挑戦していたら、果たしてどれだけの活躍ができたのか。1995年に近鉄からドジャース入団。トルネード投法で奪三振王を獲得し、新人王にも選ばれた野茂英雄以上のセンセーションを起こしていただろう。(了)