「長嶋茂雄と私」(4)-(高田実彦=東京中日スポーツ)

◎「ハイ、エヘヘ」でクレームなし

 長嶋の答えはいつもこの2つのカタカナがついていた。
 たとえば試合の後、
「あのサヨナラヒットは、カーブでしたか?」
 と聞いたとすると、たとえ違っていても、
 「ハイ、落ち際でしたね」
 というふうに答えた。私たちはこの短い肉声をもとに、日ごろの取材量を競い合って80行から100行の1面記事を書くのだから大変だったが、書いたことについて約15年間で一度もクレームを言われたことがなかったが、あるとき
 「僕が家内と教会へ行ったのをよく知っていたね」
 といわれたことがある。立教大の知人が教えてくれたのだったが、
 「ハイ、エヘヘ」
 としか答えないのに、長嶋は新聞記事をちゃんと読んでいるのだ。
 

◎皇室御用達

 1959年(昭和34年)6月25日の後楽園球場の巨人対阪神11回戦を天皇ご夫妻が観に来られた。初の天覧試合である。
 その4対4の同点の最終回の裏、時間は午後8時45分。両陛下は予定通りに午後9時15分前にご退席されるよう、宮内庁の職員らにせかされて出口へ向かい始めた。
 と、その時である。
長嶋が村山実から、左翼ポールを巻く大飛球を放った。富沢左翼線審がグルグル手を回した。大歓声!
 天皇ご夫妻はそれをご覧になってお帰りになった。時計は9時の2分前だった。
 このほか、長嶋は皇室関係者がお見えになったときは必ずといっていいくらい大活躍をし、
 「皇室御用達」
 といわれた。私は天覧試合の現場にはいなかったが、巨人担当だったので、ほとんどの「長嶋の皇室活躍」を見ている。
 確かに試合前からほほを紅潮させていたっけ。(了)