「評伝」高井保弘

◎オレのメモノートは金で買えん

 代打本塁打27本の世界記録。その保持者、高井保弘が亡くなった。2019年の暮れ、12月20日のことだった。
 日本球界の持つ世界記録は、王貞治の868本塁打、衣笠祥雄の2215試合連続出場、福本豊の1065盗塁がある。高井はこの世を去ったことで、日本の誇る一人だったことをファンに知らしめたといえる。
 「オレを忘れたらアカンよ」と。
 高井は阪急時代選手である。打撃練習は見ものだった。打球の飛び方が違う。本拠地の西宮球場の外野スタンド後方へガンガン打ち込んだ。かっ飛ばす、という表現そのものだった。今の選手でいえば、西武の中村剛也、山川穂高みたいと思えばいい。
 当時の監督は西本幸雄。「変化球が打てんやないか」との理由で二軍暮らしが続いた。一軍での最初の代打本塁打がプロ入り4年目。2号はそれから3年後だった。
 黙っていたわけではない。「徹底的に長いので勝負」とハンマーみたいなバットで振り回した。おかげで手首に軟骨。手足が小さいこともあってアチコチに障害が出た。
 体型からニックネームは“ブーちゃん”。ところが見た目とは違い、大変な研究家で、試合中に各投手のクセをノートに書き留めた。これは同僚の野球博士ことダリル・スペンサーから学んだものである。
 その成果がオールスター戦の代打逆転サヨナラ本塁打。1971年、後楽園球場での殊勲だった。9回裏者一塁の2球目。まさに一世一代の晴れ姿だった。相手投手はヤクルトのエース松岡弘。セ・リーグ投手のクセもメモしていたのである。
 「日本シリーズで当たるかもしれんからな」
 だから松岡のシュートを読んでいたのだった。投げた松岡は併殺狙いの1球を左中間スタンドに運ばれて呆然としていた。高井のオールスター戦でのスイングは、この一度だけである。
 「高級外車のベンツは金を出せば帰るが、オレのノートは買えんよ」
 高井の名言である。この言葉は重みがあるし、だれもが参考にしなければならない。ブーちゃんは“お宝”を残して旅立った。(菅谷 齊=共同通信)