「いつか来た記者道」(26)-(露久保孝一=産経)
◎選手が挑む新しい野球生活
2020年は新型コロナウイルス感染の影響で、日本は「新しい生活様式」に変わった。
プロ野球界も大きな変化があった。開幕が大幅に遅れるなど、チームとファンは我慢を強いられた。公式戦がない時、選手は練習を制限され辛い日々を過ごした。
我慢といえば、00年頃までのプロ野界にはその要素が多かった。現在とは違って、かつては球団も監督も強かった。どちらも選手を圧倒する力を持ち、それが当然のように受け入れられた。
監督は、いわば「独裁者」みたいな存在であり、選手を自由自在に使い、動かした。選手を叱る、命じる、スパルタで鍛えることは当たり前だった。
記者(露久保)は昭和50年代に、プロ野球のキャンプで、コーチがミスを犯した選手に罰としてバットで尻を叩き、頭をこづくシーンを見たことがある。現在、そんな場面があれば外から写真に撮られ「異常な行為」と非難されるかもしれない。
▽走れ、走れ、で鍛えられ花咲かす
昭和時代までの球界は、チームの遠征先の宿舎は旅館で、選手は1人部屋ではなく数人が一緒の部屋になった。
プライベートはなく、若い選手は昼間ニ軍、夜一軍の試合に出てくたくたになって宿舎に戻るが、部屋で早く眠りたくとも、先輩たちがマージャンをしている横で寝るわけにはいかなかった、と数人の選手から聞いたことがある。
そんな事情であっても、選手は耐えて、野球がうまくなりたいと貪欲に向かっていった。
試合、練習では鬼軍曹がいてしごかれた。「連投、連投」あるいは「走れ、走れ」である。選手は命令に従い、黙々と挑戦した。
昔の体力作りの基本は「走って鍛えろ」で、ロッテの金田正一監督は、特に投手陣を過酷なまでにランニングさせて下半身を強化させ、長丁場を乗り切った。
遠征先での宿舎生活や厳しいプレー、練習に耐えたため、その分、選手は精神力を鍛えられた。どんな中でも自分の能力を磨いていかないと、プロでは食っていけないという根性を身につけた。ハングリー精神はこうしてつくられた。
▽選手の意識改革がどう現れるか?
しかし、現在は選手個人の権利が認められ、フリーエージェント(FA)制度もある。遠征先の宿舎は、高級ホテルの個室になっている。
選手は、鍛えられるという状態にはなく、練習は科学的トレーニングの採用でその内容は大きく変わっている。
科学的データによれば、走り込みは筋力アップをもたらさないともいわれる。命令を受けて鍛えあげるというより、バランスのとれた練習をしているということだ。
19年日本一のソフトバンクの松田宣浩(のぶひろ)内野手や柳田悠岐(ゆうき)外野手は、シーズンを通じて、ウエイトトレーニングをして体力を強化し、運動能力を全開させる努力を行っている。こういう選手は多い。
厳しく鍛えるという点では、昔も今も同じだが、現在の選手にはハングリー精神が希薄であるといわれる。今の選手にあるのは「自由の中の厳しさだ」と球団の元代表は言う。
プロ球界での「新しい生活様式」がどう選手の意識改革につながるか、近い将来見えてくるはずである。(続)