第35回 白いボール-(島田 健=日本経済)

◎芥川賞作家のプロデュース
▽元は子どもの唄
日本球界の至宝、世界のホームラン王、王貞治さんも唄を残している。
「プレートけってなげこむボール カンとバッターがうつボール ボールボール白いボール ベンチのなかまもスタンドからも みんな見ているひとつのボール」
行進曲風の簡単なメロディーに若かりし頃の王さんの素朴な歌声、それに漢字が二つしかない一番の歌詞。唄いっぷりはさすが真面目な王さんらしいが、後年には素朴すぎる内容にやゆされたこともある。そう、これは子ども向けの唄だった。
▽本間千代子とデュエットも
後に「土の器」で芥川賞を受賞した阪田寛夫はまず大阪朝日放送に勤めて、ラジオの音楽番組を担当、1955年(昭和30年)児童の唄を充実させようと「ABC子どもの歌」を立ち上げた。しかし、人気がなかなか上がらない。
そこでプロ野球の人気選手の力を借りようと、王選手と当時童謡歌手も務めていた、今でいえばアイドルの本間千代子と組ませたわけだ。一番は王さんのソロ二番は本間のソロ、三番がデュエットである。人気を得るためにサイン色紙配布のキャンペーンもかけた。
▽実力上昇で2度発売
児童書作家の鶴見正夫の作詞、本間の義兄でもあり、後にシンセサイザー音楽の大家となる冨田勲が作曲。みんな若い頃だが、スタッフは全て一流になって行った。阪田も本の他に童謡「サッちゃん」の作詞を担当している。
王さんも「王、王、三振王」から「王、王、ホームラン王」に成長していく。64年、55本で本塁打の新記録を作ると翌年にコロンビアから、小学生の歌う「ぼくらのホームラン王」を従えて発売された。ハンク・アーロンの755号を更新した77年には巨人軍球団歌の「闘魂こめて」をB面にして再発売された。
▽長嶋さんの代理?
阪田の記憶によると録音したのは59年だという。王さんが早実から鳴り物入りで入団した年だが、今よりはずっと注目度が低く、選手が唄を録音することもあったのかなと思っていたら高嶋ひでたけさんのブログに冨田さんの話が載っていた。
「(当初は)長嶋茂雄さんが唄うはずだったので、待っていたら王さんが来た。驚いたけれどそのまま録音した、後で聴いたところによると王さんは『球団の人に言われたから来ただけ。長嶋さんは唄うのが嫌いだったんでしょう』と言っていたそう」
伝聞ばかりで残念ながらはっきりしたことは分からない。王さんにまた会える機会ができたら是非真相を聞いてみたい。シングルレコードが絶版になっていても、ネット動画で簡単に聴けるのはやはり便利だ。検索は「白いボール 王貞治」(了)