◎スター選手の犠牲とFA導入

プロ野球のオフはフリーエージェント(FA)選手の獲得にやっきになる風物詩となっている。高額条件が飛び交う“小切手シーズン”でもある。
 大リーグがFA制度を導入したのは1976年から。それまで選手の進退はオーナーがすべて握っていた。19年に起きたブラックソックス事件(ワールドシリーズ八百長事件)は、ホワイトソックスのオーナーが年俸を異常に抑制したため、レギュラー8人が黒い手に染めた事情が背景にあった、といわれている。FAは大リーグ発足から100年かかって選手たちが勝ち取った権利で、いわば“球界の民主化”だった。
 FA導入のきっかけは“フラッド事件”だった。カージナルスにカート・フラッドという黒人の外野手がいた。盗塁王のルー・ブロックと並ぶオールスター選手として知られる。事件はフラッドがトレード拒否したことから起きた。「黒人選手の人数枠」を理由にされ「差別」と問題になった。
 この一件がこじれ、オーナーと選手会が「人権」「待遇」などで闘争になった。ドジャースの主力投手アンディ・メサースミスが契約しないまま登板するなど、ドロ沼状態に。結局、オーナー側が折れ、一定期間メジャーでプレーすれが自由になれることで決着。選手にとって自由と高額契約を手に入れられる新時代の到来だった。
 フラッドは高給で獲得にきたチームの申し込みを蹴り、裁判闘争に持ち込むなど強い意志を保ち続けた。しかし、この闘いに心身ともに疲れたのだろう、選手としての力は衰えていった。FA制度導入の犠牲者となったことを理解した同僚たちが収入を失ったフラッドに生活資金を援助している。
 それからである、スター選手が高額を手にするようになったのは。ヤンキースはこの制度を活用し、ミスター・オクトーバーことレジー・ジャクソン外野手に続き、パドレスの外野手デーブ・ウィンフィールドを「10年、1000万ドル」で獲得するなど大金をつぎ込んで強豪チームに返り咲いた。
 こんな事態を「大リーグは荒波の中にいる」と指摘した一人がドジャースのオーナーだったピーター・オマリー。春のキャンプ地だったフロリダ州ベロビーチでインタビュしたとき、そう語って苦渋の表情を見せた。
ドジャースといえばジャッキー・ロビンソンを黒人初の大リーガーとし、今日の多国籍選手が活躍する球界に変えるなど、発展の改革に積極的なリーダー的存在だった。巨人や中日と良好な関係だったことでも知られた。
オマリーは経営に響くことからFA制度に反対だった。ヤンキースを率いるジョージ・スタインブレナー・オーナーの小切手野球と、それに同調する流れにやる気を失い、球団を手放すことになる。
 高額契約が青天井の様相になったころ、各球団はFA選手の高額契約を抑制した時期があった。そのあおりを受けた代表的な選手の一人がボブ・ホーナーだった。為替の円高もあってヤクルトが獲得。デビュー戦から本塁打を固め打ちしたことで記憶に残る。
 日本は有識者会議を経てFA制度をすんなり取り入れ、高額移籍が可能の道筋を開いた。野球人には、フラッドという犠牲者の上に導入された制度であることを知っておいてほしい、と思う。(菅谷 齊=共同通信)