「いつか来た記者道」(32)-(露久保 孝一=産経)

◎新聞大会が訴えた取材と報道姿勢
2020年は新型コロナウイルス感染拡大により、すべての日本人が影響を受けたはずである。マスコミ分野においても、相当なダメージを受けた。営業、販売収入減の経営だけでなく、編集面でも困難な状況に陥った。
同年11月26日、神戸市で第73回新聞大会が開かれた。新聞、通信、放送各社の代表者ら約300人が参加し、コロナ禍のなかでの報道のあり方について活発な議論を交わした。ウイルス感染拡大を前例のない危機と表し、「大きく変容する社会のなかで、新聞は正確で公正な報道を通じて、責任ある言論活動を行わなければならない」との大会決議を採択した。
▽独自の紙面作りが難しくなった
新聞大会では座談会も開かれ、パネリストのひとりからスポーツ報道の現場の課題がとりあげられた。
スポーツの試合などで直接観戦や選手への対面取材が制限され、記者は非常に困難な状態に追い込まれている。記者の目によって試合をどうとらえるか、その見方は違うが、各紙独自の紙面作りが難しくなっている、と指摘した(産経新聞・飯塚浩彦社長)。
新聞を読んで、あるいはテレビを見て、読者・視聴者は気付いていると思われるが、プロ野球、サッカー、大相撲など選手、力士の声や行動には、いわゆる「楽屋裏」からのものがほとんどない。プロ野球ならベンチ裏やロッカールーム周辺、大相撲なら相撲部屋において選手、力士を直接取材し「生の声」を聞くが、コロナ禍の時期はテレビ、モニターなどで「見た姿」しか捉えられないのである。選手たちの声を聞いても、大相撲のようなオンライン・インタビューであり、それは全マスコミ共通のものである。各マスコミが独自につかむ選手たちの生の声ではない。みんな似たような内容の記事、テレビ報道なのでユーザーには「物足りない」となってしまう。
かつて、昭和から平成半ばにかけてプロ野球を取材した記者たちは、グラウンド、土俵以外の「どこでも」選手たちと会話をし、エピソードを交えて記事にした。ただし、彼らのプライバシー、人権はしっかり守った。選手たちも、ゴシップめいた記事や名誉棄損に当たるような文は書かないと記者を全面的に信頼し、気楽に会った。ところが、最近はマスコミ多様化により、その「礼儀と作法」が守られないことが選手たちの反感を買い、直接取材がしにくくなってきたことも事実である。
▽選手との相互信頼から「生の声」出る
そのような取材状況下において、コロナ禍によりさらに選手に密着した取材、報道ができになくなってしまったのである。「番記者」といわれたかつての取材対象者に対する自由な報道態勢は困難になり、その状態は21年も続くと思われる。しかしながら、記者と選手、監督、力士たちとの相互信頼関係こそジャーナリストの生命線であり、ぜひ復活してほしいものである。新聞大会で決議した「責任ある言論」をスポーツ界でも追求していかなければならない。(続)