「菊とペン」-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎まだ捨てない“ニューヨークの野望”
現役時代は数多くの出張をしてきた。もちろん、中には海外出張もあった。いまだに忘れられないのが横浜で渉外担当として活躍した牛込惟浩氏とともに
に訪れたニューヨークでの一件、いや二件である。
 いまから20年ほど前になるだろうか。当時、私はプロ野球担当デスクだったが、メジャーの話題が花盛りで、連日紙面を飾っていた。で、ある日。編集担当重役からの電話である。いきなりだが
「アメリカに行ってこい」
というのである。現地のメジャー事情の視察とともに現地にいる有能な日本人記者をスカウトして、原稿を依頼せよ。これが主な目的だ。
当時メジャーの解説委員をお願いしていた牛込さんに同行してもらえというから、こんな心強い話はない。
 牛込さんの渡米歴は軽く100回以上を超えていた。2人で旅行日程を作成したが、私はニューヨーク(NY)からサンフランシスコ経由の帰国を強く主張した。NYははぶこうとすれば可能な日程だった。だが、牛込さんは乗り気ではなかった。NYにはいい思い出がなかったようで、できればパスをしたかったようだ。
 そこを押し切った。実は私には狙いがあった。よくハリウッド映画によく出てくるストリップバーに行きたかったのだ。ほら、円筒形の棒に金髪美女がしがみついているアレです。眼福、そして美味い酒を飲む。たまらん。さあ、NYだ。空港からタクシーを拾って今宵の宿へ。牛込さんは浮かない顔だ。タクシーの運転手がどうやら移民のようで、牛込さんいわく、「キューバの人じゃないか」という。
 NY市内に入ると、この運転手はキョロキョロし始めた。どうやら目的のホテルが全く分からず悪戦苦闘である。携帯を取り出して頭を左右に振りながら必死の会話である。迷ったらしい。危ないなと思った瞬間、ガツンという鈍い衝撃が。道路のど真ん中。牛込さんと顔を見合わせた。
 ぶつけた車を見てまたビックリだ。なんとNY市警のパトカーだったのである。車から降りてきた2人の警官は黒人で、まるで小錦を少し小さくした体格だ。運転手サイドの窓をたたいて下げさせると猛烈な勢いで運転手を尋問している。(そう見えた)だが運転手は我々2人に首を回して言い訳をしている。(そう見えた)おそらく、客を乗せているので急いでいた。勘弁してと言っていたのだろう。(そう見えた)
警察が許すはずがない。降ろされるかと覚悟したが、黒人警察官は我々2人を眺めながら運転手に「行け」のポーズだ。どうやら客を乗せていたということで大目に見たようだ。移民運転手は危機一髪である。
 なんとかホテルにたどり着いて食事を終えて、私は牛込さんに「実は…」と願いを切り出したが、「なにを考えているんだ。明日は早いから寝ろ」である。同行してもらおうの思惑が外れて、よっぽど1人で行こうと思ったが、やは
り怖い。断念してベッドに入るしかなかった。
 翌朝。NYの空港へまたタクシー利用である。今度は白人の若い男性が運転手だ。その運転手はビュンビュン飛ばす。市内を抜けたところで、後ろからパトカーのサイレン音が。運転手はなぜか無視である。飛ばす、いや逃げている
としか思えない。突然のカーチェイスに冷や汗が噴き出る。とうとう追い詰められて路肩へ駐車である。どうやら路線変更を間違えたらしい。運転手はこっぴどく絞られていた。それでも警官は「行け」のポーズ、やはり客を乗せていたことを考慮したようなのである。
 空港にはギリギリでセーフ。牛込さんは「だからニューヨークはなあ…」としみじみ言っていたのを思い出す。過去に何があったのかは聞かなかった。私、いまだに「ニューヨークの野望」は捨てていない。(了)