「評伝」安田猛

◎王との名勝負、81イニング無四球の大記録
 ニックネームが“ぺんぎん”。173㌢72㌔だから小太りに見えた。ホームラン打者で鍛え抜かれた体の王貞治との勝負は、投打の対決とともに好対照の体格勝負としても興味深かった。その大打者を苦しめた安田猛が2021年2月20日に亡くなった。72歳だった。
 「多彩な変化球とタイミングを外すうまさ。緩い球を使って投げてきてからストレートがえらく速く感じた」とはその王の言葉である。
 王がハンク・アーロンの持つ大リーグの本塁打記録を破る756号を打ったのは1977年の9月3日(後楽園球場)。相手は安田のいるヤクルトで、投手は鈴木康二朗だった。翌日、757号を安田が打たれた。この1本は、王の通算868本がギネスブック掲載となる再スタートのきっかけで、安田と王の因縁の一つである。
 進学校の福岡・小倉高から早大を経て大昭和製紙へと、一人の男性としてのエリートコースを歩んだ。特技が野球ということである。プロに入ってオフになると、デパートでアルバイトをしたエピソードを持つ。「世の中を知りたい」のが理由だったという。社会人としての感性を持ち合わせていた。
 安田の自慢はコントロールの良さで、連続無四球がそれを象徴している。73年9月9日、甲子園球場での阪神戦。9回裏、2-2の同点にされ、なおも二死一塁で4番の田淵幸一を迎えた。ここで三原脩監督は「敬遠」を指示し、この瞬間に81イニング連続無失点が終わった。
 この試合の途中で、50年に作った白木儀一郎の74イニング無四球の記録を破っている。前年の新人王とはいえ、早大の先輩で大監督の誉れ高い三原のさい配に逆らうわけにはいかない。続投。5番の左の池田純一に右翼席へ逆転サヨナラ3点本塁打を打たれた。
 いまだにプロ野球最高として、半世紀近く残る81イニング無四球の大記録を持って旅立った。(菅谷 齊=共同通信)