「セ・リーグDH採用で球界が変わる?」-(山田 收=報知)

第11回 セはDH制にどう向き合ったか(5)
 セ.リーグのDH制反対論の源流を探っているが、今回は、現在ではやや首をかしげたくなる理由を取り上げたい。前2回からの続きで、1980年代のセ・リーグ文書から、見つけ出したものだ。当時の野球の時代感がうかがえると思う。

④ベーブ・ルースやスタン・ミュージアルは、投手から野手に転向して成功したが、そのような例がなくなる
 ⑤仕返しの恐れがないので、投手が平気でビーンボール投げる
 ⑥いい投手は完投するので、得点力は大して上がらない
 ⑦バントが少なくなり、野球の醍醐味がなくなる
 
④はこじつけかな、とも思う。西沢道夫、川上哲治、田宮謙次郎、関根潤三、広瀬叔功、権藤博、柴田勲など、DH制のない時代にプロで投手成績を残して、野手に転向した例は日本でもある。1975年以降のパ・リーグでも愛甲猛、吉岡雄二、糸井嘉男、木村文紀など、打者として一定の成績を残した選手がいる。転向成功はDH制というより、個人の事情の方が大きいのでは、というのが私の思い。
 ⑤は、表立って理由となるだろうか。DH制が乱闘の抑止力になる? 理屈からすれば、投手が打席に立たないことから導き出したのだろうが、報復があるとすれば、捕手に向くのが暗黙の行為。まあ、大声で主張すべきものではない。
 ⑥は、それこそ時代の差を感じる。当時の各球団のエースは完投して当たり前だった。9人の野手がいても、大エースなら抑える、と考えたのだろう。現在では完投自体が激減している。先発・中継ぎ・抑えの分業は当たり前というか、それを前提に投手編成をしている。守る側からすれば、DH制の方が投手交代が楽になる。まあ、完投とDH制を結びつけるのは、やや無理筋か。
 但し、得点力は上がった。パがDH制を採用した1975年からの10年間とそれ以前の10年間の得点を比較してみた。65年からの10年間では1試合平均7.588点だったが、75年以降では7.702と増加はしている。これを“さほど上がらない”とみるかは微妙なところだ。
 ⑦には考えさせられる。DH制になると、攻撃的になり、バントが減る、というのはいかにもありうる。しかし、前述の期間で比較してみると、DH制以前1試合平均1.152の犠打数が、75年以降の10年間では1.238と増加している。74年には2球団だった100超えが84年には4球団になっている(試合数は両者130)。DH制を採用しても、バントは多用されていたのだ。その点でいえば、当時のセ関係者の予測は外れていた。(続)