「いつか来た記者道」(38)-(露久保 孝一=産経)

◎台湾選手から「ありがとう日本」
 新型コロナウイルスの世界的大流行(パンデミック)は、野球界にも大きな影響を及ぼし、いろいろなハプニングも起きた。2020年に感染が拡大し、21年になってもウイルスとの戦いは続いたが、暗いニュースだけでなく、助け合いの心温まる出来事も起きている。
日本と台湾が、野球も加わって明るい話題を提供した。
 台湾は第2次世界大戦前から野球が発展し、台湾球児が海を渡って甲子園で活躍した球史は、消えることなく今日でもファンの記憶に残っている。現在、台湾球界から日本ハムに入り活躍している王柏融(ワン・ボーロン)外野手がいる。
 セ・パ交流戦が2年ぶりに行われた21年6月5日、東京ドームで巨人―日本ハム戦があった。巨人が1点リードして迎えた七回、好投していた戸郷翔征(とごう・しょうせい)から日ハム5番の王が右中間スタンドに逆転2ランホームランを放った。
試合後のヒーローインタビューで王は、本塁打の感想を話したあと、自らファンに語りかけた。「コロナのワクチンを台湾に送っていただき、ありがとうございました」
スタンドから、盛大な拍手が送られた。
▽地震義援金、マスク受けワクチン提供
 王は台湾野球で16年と17年に2年連続4割を超す打率を残し、ホームランも打てる「台湾史上最高の打者」になり、19年にポスティング制度を利用して日本ハムに移籍した。しかし、日本では怪我もあり力を発揮できずにいたが、3年目に一軍でクリーンアップに定着するようになった。
 その王が殊勲のお立ち台で、日本から届いたワクチンに自らの口でお礼を表明したのだ。2300万人の隣人である台湾に、日本は前日の4日に124万回分のワクチンを送っていた。台湾は、東日本大震災では200億円を超す多額の義援金と救援物資を日本に届けた。今回の新型コロナ禍の混乱に際し、台湾政府は200万枚のマスクを寄贈された。そんな恩に報いるために日本はワクチンを送り、それを知った王は、日台の信頼と友情に胸打たれたのである。
 東京ドームの場内と、NHKテレビ中継における舞台は、野球の枠を越えて台湾人全員の声を代弁して感謝の言葉を述べる絶好の場となった。王のスピーチは、日本人にも台湾人にも心と心の触れ合いを強く印象づけたはずである。
▽台湾と日本の交流試合、大会を
 台湾では戦前から野球が盛んで、高校球児を描いた映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」(この欄「いつか来た記者道」第5回目参照)で見られるように、主将・エース・4番打者として嘉義農林に準優勝をもたらした呉明捷(ご・めいしょう)選手は、早大に進学すると通算7本塁打の東京六大学リーグ新記録を作った。のちに立大の長嶋茂雄が8本塁打を放って更新した。
彼の後輩にあたる呉昌征(ご・しょうせい)選手は日本のプロ野球で大活躍したことで知られる。37年に巨人に入団。戦後、阪神、毎日に移籍し、投手としてノーヒットノーランを達成し、打者としては首位打者や盗塁王、MVPにも輝いた。
“オリエント・エクスプレス”の異名を取った西武の郭泰源(かく・たいげん)投手はノーヒットノーランにMVPとその名を残した。中日には本塁打王、打点王の二冠を取った大豊泰昭(たいほう・やすあき)内野手、MVPの郭源治(かく・げんじ)投手がいた。巨人では外野手の呂明賜(ろ・めいし)ら多くの台湾出身者が日本のプロ野球界で活躍している。
 現在、台湾には「中華職業棒球大聯盟」というプロ野球組織がある。中信兄弟、統一ライオンズ、富邦ガーディアンズ、楽天モンキーズ、味全ドラゴンズという5球団が連盟に加盟し、各球場で試合を繰り広げている。
 台湾には国際政治においていくつかの問題が取りざたされているが、野球界においては日米を含め友好的な交流が行われている。今後、日本と台湾の間でプロや高校野球の対抗試合、あるいは野球大会など両地域で活発に展開していけば、さらにプロ野球界の人気を盛り上げ、ファン層の拡大につながると思う。野球こそ、何にもまさる「平和」運動ではないか。(続)