◎もし、あの選手が大リーグでプレーしたら…-(菅谷 齊=共同通信)

1970年代初めから米国に行っては大リーグの試合を見ている。球団拡張政策から10年ほど経ったころだが、まだナ・ア各8球団時代の猛者が存在感を示していた。
 あの三振奪取王のノーラン・ライアンがエンゼルスのエースだった。160㌔を超える剛球を投げていたのを見てびっくりしたことを覚えている。そのライアンが滅多打ちされるくらい打者もすごかった。
 すごい打者といえばレジ―・ジャクソン。豪快なスイングは見ものだった。ヤンキース時代、ワールドシリーズで1試合3本塁打、それもすべて初球を外野席へ放り込んだ。“ミスターオクトーバー”の異名が生まれたのはそのバッティングからだった。
 当時、日本にも強打者がいたけれども、大リーグのレベルから「通用しないだろう」というのが正直な感想だった。
 それでも王貞治だったら通用しただろう、と期待を持った。王は確実性があるので打率は高く、むろん長打力はあるし、ミスショットは少なかった。選球眼もあった。それに投手が逃げずに勝負してくるから本塁打の数も増える。現在の大リーグなら三冠王も、と思える。
 投手では江夏豊である。阪神時代のピッチングなら間違いなく勝てたと思う。球威とコントロールは抜群。同時期の堀内恒夫のドロップも大丈夫。古くは杉下茂のフォークボール、下手投げ杉浦忠のカーブには目をむいただろう。
 長嶋茂雄がプロ入りして間もなくドジャースから譲渡の話があった。友好関係にあった相手だったけれども、巨人は断った。長嶋にドジャーブルーは最も似合っただろうし、大胆かつ派手なプレーは人気を得たと思う。大リーグでも絵になったはずである。
 怪童こと中西太の怪力と飛距離は大リーガーを驚かせただろう。柔道の猛者で荒っぽい打撃と強肩の森徹こそだリーグ向きだった。
 1953年秋、日米野球でこんなことがあった。この年2勝の西鉄の右腕、西村貞朗(さだあき)を大リーグ選抜チーム(ロパット・オールスター)が自軍に入れ日本相手に投げさせた。大リーガーの見る目は確かで、西村は翌年22勝を挙げ、58年には完全試合を達成。現在なら大リーグからスカウトされていただろう。
 大リーグのレベルが最高峰にあったころの話である。今なら王も長嶋も、江夏も堀内も太平洋を越えて行っただろう。大谷翔平の活躍を見ると“時代の運”を感じる。(了)