「いつか来た記者道」(42)-(露久保 孝一=産経)

◎野球大好き,首相も大臣も熱くなる
プロ野球は、全国に数多くのファンを抱えているが、政治の世界にも応援者がいる。首相や閣僚には特定球団を熱烈に応援する方も少なくなく、熱狂ぶりを発揮してマスコミに話題を提供している。
 2021年10月、第100代総理大臣に就任した岸田文雄氏は、広島ファンとして知られている。外務大臣を務めていた16年に、先進7カ国首脳会議の「G7」の文字を入れたカープユニホームを来て始球式を行った。「私は生まれたときからカープファン」と宣言するほどの熱心な支持者である。
 岸田氏は東京生まれ。高校は進学校の開成に進み、野球部に入って熱心に
練習した。2年生だった1974(昭和49)年、東京都夏季大会の2回戦で、セカンドを守っていた岸田氏は6回にタイムリートンネルし、9-1で負けた最後の失点も彼のエラーからだったと伝えられている。岸田氏の野球は高校で終わり、2浪して早大法学部に入学した。
 東京生まれの岸田氏が、なぜ広島びいきなのか? 衆院議員だった父・岸田文武氏が広島県出身で、その影響を受けたといわれている。私(露久保)の弟と叔父は関東の生まれだが、「縁の薄い」離れた阪神を熱っぽく応援している。チームを好きになる理由は人さまざまであろうが、フランチャイズと離れた遠隔地ファンは結構多いと思う。
▽「西武元禄だよ」福田赳夫応援団長
 岸田氏と自民党総裁選を戦った高市早苗氏は、強力な「虎党」で有名である。奈良県生まれで、子供のころから大のタイガースファンになり、甲子園に行っては声を出して応援していた。
議員になっていた2003年には、阪神が優勝したときには読売新聞社の前で「六甲おろし」を歌うと宣言した。優勝が正夢になると、東京・大手町の読売前へ。が、道路事情で不可能になる。それじゃ、と汐留にある読売系の日本テレビ社屋前に場所を移し、阪神のハッピを着て美声で熱唱した。 
 西武には、球団創立当時、強力な元首相の応援団長がいた。福田赳夫氏である。福田氏は、1979年に西武が球団を持つと初代名誉会長に座わった。同年4月14日の西武球場こけら落としのときは始球式を買って出た。その後、「ワシは私設応援団長だよ」と言って球場のバックネット裏に陣取り、声援を送った。スタート時の西武は開幕から12連敗するなど負けが込み、その年は最下位に終わった。
 福田氏は、ネット裏で私に「負けの中で選手は屈辱感を蓄えた。近い将来、その屈辱感を爆発させて優勝する。昭和元禄は、強い西武元禄に変わるのだよ」と爆笑した。その通り、西武は3年後、広岡達郎監督を迎えリーグ優勝し日本一についた。福田さんの言う通りになった。
▽「豊田泰光さん、カープ戦に打たないで」
 一ファンの身分を超え、直接「政治介入」した御仁もいる。池田勇人元首相だった。60年首相に就任し「所得倍増計画」を強力に推進した。池田氏が創った「宏池会」は、岸田氏が率いる「岸田派」に引き継がれている。両氏はカープを愛する政治家としては同じだが、池田氏の場合は、熱の入れようが違った。
 当時の広島は万年Bクラスで、池田氏はカッカしていた。広島は国鉄(現ヤクルト)に弱く、エースの金田正一左腕に抑えられ、4番・豊田泰光遊撃手によくホームランされるという負けパターンが続いた。池田氏は、産経新聞の水野茂夫社長から豊田選手の電話番号を聞いて、直接話した。
 「池田です。アンタはよう打つ。でも、カープの試合に打ったらいけんよ」と頼んだ。豊田選手は、あんなに驚いたことはなかった、とチーム仲間に話
した。
 産経といえば、安倍晋三元首相が若かったころ、すごく弱かったから好きになったとサンケイ(産経)アトムズ(66‐68年、現ヤクルト)を応援した。巨人ファンの政治家は、おそらく一番多いと思われる。
 政治とスポーツは、関係が薄いように思われるが、オリンピックや国技の大相撲、国民的人気の野球、サッカーなどとのつながりは深い。施設建設、競技運営、予算、税など政策的にかかわっている。プロ野球においては、その伝統と人気ゆえに政治家もファンになり一喜一憂する。政治家の応援ぶりによってさらにプロ野球の話題は増えていくので、政治家にはより多くの人に熱くなってほしいものである。(続)