「大リーグヨコから目線」(46)-(荻野 通久=日刊ゲンダイ)

◎最も高価な国際取引、松坂のメジャー移籍秘話
▽幻に終わった日本人コーチ
「東尾さんが一緒だったらどうなっていたか?」
2021年10月19日、西武の松坂大輔が現役引退を表明した。その引退記者会見を聞きながら、ふと15年前を思い出した。
 2006年のシーズンオフ、松坂は西武からポスティングシステムで大リーグ移籍を目指した。「平成の怪物」の松坂にはレッドソックス、ヤンキース、メッツ、カブス、レンジャーズのメジャー5球団が入札。結局、レッドソックスが約60億円で落札、交渉権を得た。そして6年間、年俸総額約61億8400万円で契約したのはよく知られている。
 レッドソックス同様に松坂獲得に熱心で、入札に応じた球団の関係者から当時、聞いた話だ。
 その球団は松坂取りに成功したあとの対策を考えていた。それが東尾修氏(当時評論家)の臨時投手コーチ招聘だった。東尾氏は松坂入団時の西武の監督。松坂の投手としての技術、能力、考え方だけでなく、性格もよく知る人物。しかも、松坂がもっとも信頼する野球人の一人でもあった。そこまで調査した球団は入団後の松坂をいろいろな面でフォローする人物として同氏に白羽の矢を立てたという。1年目のキャンプからスタートする構想だったという。
 結局、入札額でレッドソックスに劣ったそのチームは交渉権獲得に失敗。目論見は外れてしまった。
▽埋められなかった考え方の差
 レッドソックス入団後の松坂は1年目15勝12敗、2年目18勝4敗と結果を残したが、その後は故障などもあって尻つぼみ。2009年には調整法を巡って不満を述べるなど、首脳陣との間もギクシャクしだした。
もともと松坂は試合で投げない日でも、ブルペンでも球数を多く投げたいタイプ。肩やひじの消耗を考え、シーズン中のブルペンでの球数にも制限することのあるメジャーのスタイルとは考え方に違いがあった。
 松坂がレッドソックスではなく、そのチームに入団。東尾臨時コーチが実現していれば、現地に留まったり、タイミングを見て渡米したりして、松坂の相談相手、首脳陣と松坂の調整役になったのではなかろうか。松坂の度重なる故障も避けられ、もっと大リーグで活躍(7年間で158試合56勝43敗1S)したかも知れない。
「野球の歴史で最も高価な国際取引」と言われた松坂のメジャー移籍。当時の争奪戦取材が懐かしく蘇ってくる。(了)