◎記者投票、MVPと新人王-(菅谷 齊=共同通信)

プロ野球の締めくくりは、記者投票によるタイトル。なかでもMVPと新人王がもっとも注目されている。
 ・MVPは優勝に貢献した選手が選考の基本条件。優勝チーム以外から三冠王など傑出した選手が選ばれることもある。
・新人王は個人記録が決め手となる。複数選手が競ったときはチーム成績が絡む。
歴史を振り返ると、MVPはプロ野球2年目の1937年から選ばれ、第1号は巨人のエース沢村栄治。新人王はセ、パ2リーグになった50年から始まり、最初の選出者はセ大島信雄(中日)パ荒巻淳(毎日)の両投手。
 MVPは獲得点数(1位5点、2位3点、3位1点)で決まる。
 投票にはドラマがつきまとう。代表的な例は87年の巨人の山倉和博捕手が選ばれたとき。山倉の得票数は1位67、2位61、3位47の計565。2番目は投手の鹿取義隆投手で1位73、2位53、3位38の計562。わずか3点差だった。山倉は1位投票が鹿取より少ないのに当選したわけで、稀な例となった。
 三冠王でも絶対とはいえないケースがあった。ロッテの落合博満は3度目は選ばれなかった。巨人の王貞治は2度とも選ばれている。
特筆は計9度の王、それに投手として3年連続選ばれた阪急の山田久志である。MVPと新人王を同時受賞した選手に日本ハムの木田勇投手がいる。惜しかったのは球界初の文化勲章に選ばれた巨人の長嶋茂雄。本塁打王と打点王を取りながらMVPは同僚のエース藤田元司に。
新人王は「該当者なし」が何度かあった。セは3度。6度のパは厳しく、60年代は5度もあった。2000年のパが最後となっている。
2年目以降でも選ばれた選手がいる。最初は51年。セ、パとも2年目の松田清投手(巨人)蔭山和夫三塁手(南海)だった。71年の関本四十四投手(巨人)は4年目。
 大リーグのMVPでは問題になった例が少なくない。代表的なのはレッドソックスのテッド・ウィリアムス。三冠王を獲得しても選ばれなかった。記者との相性が良くなかったというのが通説だ。
史上最高の争いといわれたのが41年。ヤンキースのジョー・ディマジオが56試合連続安打、ウィリアムスは4割をマーク。記者が軍配を挙げたのはディマジオだった。「孤高のスラッガー」と呼ばれたディマジオに対し、腕白選手のイメージだった「キッド」のウィリアムス。この違いが数字に表れた。(了)