「大リーグ見聞録」(49)-(荻野 通久=日刊ゲンダイ)

◎姿を消した海外キャンプ
▽痛感させられた彼我の差
2月1日といえばプロ野球のキャンプ初日。そのキャンプがすっかり様変わりしてしまっている。一時は毎年、数球団が行っていた海外キャンプが姿を消してしまったからだ。
海外キャンプが盛んになったのは1970年代後半から。78年にはヤクルトが米アリゾナ州(99年まで)、79年には西武が米フロリダ州(その後はハワイ)、80年は阪神と大洋(現DeNAは2年間)が米アリゾナ州で、81年は巨人が米フロリダ州でキャンプを張った。巨人は翌年からはグアムで行い、99年(二軍だけ参加の年を含む)まで続いた。
 最近では2016年から日ハムが米アリゾナ州で実施したが、コロナ禍もあって19年が最後だ。栗山監督(当時)の強い要望で実現していただけに、コロナ禍が収まっても再開は難しいだろう。
 もともと海外キャンプはメジャーリーグの進んだ野球の取得や選手のレベルアップが目的。61年に巨人がドジャースのベロビーチキャンプに参加。守備を重視し守って勝つ野球、いわゆる「ドジャース戦法」を学び、その後9年連続日本一につなげたのはよく知られている。また先日、野球殿堂入りした山本昌(元中日)が米野球留学でスクリューボールを覚え、それを武器に一流投手に成長した。
私も81年のベロビーチ、82、83年のグアムの巨人キャンプ、95年のダイエー(現ソフトバンク)の豪州キャンプに帯同した。ベロビーチはドジャースの本拠地で複数面の球場やブルペン、宿舎にテニスコート、プールなどの娯楽施設が完備。近くには18ホールのゴルフ場もあった。
ベロビーチは避寒地でもあり、海岸沿いにはニューヨークのブランドショップの支店が並んでいた。巨人ナインは施設内の2人1部屋のコテージ風の宿舎に宿泊。温暖な気候、充実した設備はそれまで取材した、寒風が吹くこともある巨人の宮崎・青島のキャンプとは別天地だった。
▽行くのは球団ではなく選手
もちろん問題もあった。巨人が1年でベロビーチキャンプを辞めた理由について、後日、当時の藤田監督に聞いた。「アメリカ本土まで行くと、往復で前後2日かが無駄になる」
時差に加えて飛行機の長旅。到着した日と帰国した日の前後2日は選手の体調を考えて、思うような練習ができない、ということだった。
米本土よりははるかに近いグアムも「初めて着たときは、あまりの蒸し暑さに驚いた」と藤田監督は話していた。
グアムでは選手は車の運転、釣り、ギャンブル(ドッグレース)は禁止。免税店に行くのもタクシーか報道陣の車に便乗。球団が日本から麻雀卓を運んで遊んでいたが、選手には窮屈な生活だったようだ。それでも羽根を伸ばしていた選手もいたが…。
ダイエーのキャンプでは室内練習場がなく、雨天の時には近くの大学の施設を借りて練習した。海外キャンプならではの難しさがある。
そんな事情に加え、経済効果を求めてキャンプを誘致する自治体が各種施設を充実。球団自らがキャンプ地を作るケースもある。最近では沖縄と宮崎が拠点になっている。
行かなくなった球団とは対照的に、今年も広島の鈴木誠也が海を渡る。今や海外に行くのは球団ではなく、日本人プレーヤーになっている。(了)