「菊とペン」(28)-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎王さんの目
2カ月ほど前になるが白内障の手術を受けた。近くに焦点を合わせるもので、「単焦点手術」である。遠くは見えにくい状態なのでメガネをかけることになる。その感想だが、生活の質が間違いなく上がった。世の中、こんなに明るかったかと思ったし、メガネをかけると以前より遠くがハッキリ見えるのである。
こどものころから目が悪かった。私は定年以降も会社に残り、2016年から千葉ロッテを担当した。その時に気付いた。記者席で試合を見ていると投手の投げる球や打者がはじき返す打球が追いづらいのだ。20歳過ぎからコンタクトを使っていた。
眼科で相談したが、コンタクトの度数を上げてもこれ以上は見えないと宣告された。限界である。しかも白内障が進んでいるとか。我慢し、ごまかしながら仕事を続けていたが、これ以上は無理と判断して契約期間を残して会社を辞めた。年々視力は落ちていた。野球記者が白球の行方を追えないというのではシャレにならない。仕事にならない。
いまでも思い出すことがある。巨人担当記者時代のことだ。王貞治さん(現ソフトバンク球団取締役会長)が監督だった。就任2年目からの担当だ。遠征の際は箱乗りである。同じ新幹線、飛行機に同乗する。大阪遠征だったと思う。担当記者たちは東京・中根の王さん宅に寄ってからタクシーに分乗して新横浜駅で王さんを迎えることになる。
ホームで王さんを囲んで雑談となる。もちろん、王さんはグリーン車、私らは普通車である。王さんが乗り込んだら、急いで普通車に駆けこむのである。
ある時の大阪遠征、いつものように王さんを囲んで雑談していた。そして東京駅からの新幹線が滑り込んできた時だ。王さんが声を上げた。
「アッ、X社のZ君が乗っているよ」
箱乗りをしない一般紙の記者の名前を言った。ホームから見て手前は2人掛け、奥は3人掛けとなる。王さんは号車と奥の座席番号をも指摘したのである。
我々は半信半疑だった。当日移動である。甲子園に着くとX社のZに「きょうの移動は何時発の何号車でどこに座っていた?」と聞いた。思わずエッと叫んだ。王さんが指摘したその通りだった。ビックリした。
動体視力とは自分と一定距離を保って移動している目標物をどの程度明視できるかという能力だという。王さんはこの時、45歳を少し過ぎていたと思う。
それでいて、この目の〝良さ〟である。現役時代はどうだったのだろう。どれだけ良かったのだろう。数々の大記録を成し遂げた背景には頑丈な肉体はもちろん、常人には計り知れない目の確かさもあった。改めて王さんのすごさを知ったのである。
さて私、再び「少年のような瞳」を手に入れることができた。せめてこれからは澄んだ目で世の中を明るく見ていこう。なんちゃってね。(了)