「100年の道のり」(57)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)

◎ダイナマイト打線
 5連覇の巨人を阻止し、叩きのめしたのは阪神だった。1944年(昭和19年)のことで、27勝6敗2分け、勝率8割1分8厘という強さを見せた。2位巨人とは4勝1敗2分け、8ゲーム差をつけた。
 このころから阪神は打力のチームとして強さを誇った。その象徴のシーズンとなったのが戦後の47年(8球団)だった。79勝37敗3分け、勝率6割8分1厘。2位中日に12.5ゲーム差という独走で、ライバル巨人を12勝5敗と徹底的にたたいた。巨人は勝率5割を割り、5位に沈んだ。
 阪神の攻撃はすさまじく、チームの打率2割5分8厘、長打率3割3分9厘はいずれもリーグ1位だった。本塁打は17本と少なかったが、2塁打167、三塁打37は1位、444打点は断トツだった。
 “ダイナマイト打線”の異名を取ったのは、個人記録の打撃10傑に4人も入ったからだった。
 ・金田正泰(3割1分1厘)=2位
 ・塚本博睦(3割)=4位
 ・本堂保次(2割8分3厘)=7位
 ・藤村冨美男(2割7分4厘)=10位
 ・呉昌征(2割6分7厘)=12位
 ・土井垣武(2割5分9厘)=15位
 このほか玉置玉一と長谷川善三も規定打席に達していた。野手のレギュラーがすべて規定打席数をクリアしたのは驚く打線といえた。
 投手陣も素晴らしかった。
・若林忠志=26勝12敗、防御率2.09
 ・梶岡忠義=22勝8敗、防御率1.92
 ・御園生崇男=18勝6敗、防御率1.99
 3人で66勝を稼いだ。
 打線にさまざまなニックネームがつけられているが、その第1号はこの阪神だろう。いまだに阪神打力が振るうと、この異名がよみがえる。(続)