「菊とペン」(33)-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎3年連続で見た満塁弾とは…
2022年の日本シリーズはオリックスがヤクルトを破って96年以来26年ぶり5度
目(阪急時代を含む)の日本一に輝いた。2敗1分からの4連勝だった。第5戦、吉田正尚の劇的なサヨナラ本塁打でシリーズの流れを手中にした。球団初だという。また第7戦では太田椋内野手が初回表に史上初のプレーボール弾を放った。球場で観戦した野球ファンには一生忘れられない思い出の一発となったことだろう。
そうそう、第2戦ではヤクルトの内山壮真捕手が3点を追った九回に代打で起用される
と、起死回生の同点3ラン、20歳3カ月のシリーズ初打席アーチ、代打アーチは史上最
年少だという。
私にも本塁打に関して忘れられない思い出がある。それも満塁本塁打、しかも3年連続
で同じ対戦カード・同じ時期(5月中旬~下旬)・同じ球場・同一曜日(日曜)だった。
 81年~83年の宮城県仙台市の県営宮城球場(現楽天生命パーク宮城)での大洋対中
日戦である。さらに言えば逆転・逆転サヨナラ・逆転の満塁弾だった。最初の81年、入社して初めての出張だった。チケットを取り、岩手の実家から両親を呼んで人並みに親孝行をした。
まあ、そんなことはどうでもいいが、主役「とっつあん」の愛称で親しまれた高木嘉一
だった。一回に1点の先制を許したものの、その裏に大洋は中日の先発・藤沢公也の乱調
に付け込んで無死満塁。ここで高木嘉が初球を右翼席に運んだ。逆転満塁弾である。ちなみに大洋は関根潤三監督、中日は近藤貞雄監督だった。
さらに翌82年はもっと劇的だった。大ヒーローは長崎啓二(当時の登録名)で、逆転
サヨナラ満塁本塁打である。この時点でプロ野球史上11人目の快挙だった。「野球は2
死から」の格言通り3点を追った九回2死からの3連打で満塁。ここで長崎が鈴木孝政か
ら右翼席へ打ち込んだ。
 中日の担当記者が来ておらず、中日ベンチにも足を運んだ。近藤監督ら首脳陣が呆然と
して立ちすくんでいた。2年連続で満塁弾を浴びたのだから仕方ないか…。
 「2度あることは3度ある」という。83年は伸び盛りの高木豊が決めた。中日の3点
リードで迎えた八回に大洋は満塁のチャンスを築くと、高木豊が切り札・牛島和彦から逆転
の3号満塁ホームランを放つ。この時も近藤監督が指揮を執っていた。さすがにこの時は
中日ベンチに足を運ばなかった。
 大洋はこれで仙台6連勝だ。翌84年、中日はさすがに大洋主催の仙台シリーズに帯同
しなかった。懲りたのだろう。「3度あることは4度ある?」を避けるために逃げたと記
者たちの間ではもっぱらの評判だった。話はまだ終わらない。中日に代わって仙台にやって来たのは安藤統男監督が指揮を執る阪神だ。「騎虎の勢い」で大洋の仙台連勝をストップすることができたのか。残念ながら連敗だった。
大洋は第1戦を逆転勝利すると第2戦は序盤に7点のリードを許しながら、九回にプロ
2年目の西村博已外野手が初のサヨナラ安打を放つのである。
 これで大洋は仙台で8連勝。前カードは横浜での巨人3連戦だったが3連敗を喫してい
た。「この際、仙台を本拠地にすればいい」と憎まれ口を書いて、球団の幹部に「余計な
ことを書くな」と叱られた覚えがある。(了)