第4回 すごさを見せつけた大リーガーたち
▽ゲーリッグ、グローブがやってきた
大リーグ選抜チームは1931年(昭和6年)10月29日午後零時30分、横浜港に着いた。竜田丸から選手が次々と降りてきた。
臨時列車が用意され、一行は横浜埠頭から東京に向かった。東京駅に到着したのは4時ちょっと前。ここから十数台のオープンカーに乗り、宿舎の帝国ホテル(日比谷)に入った。
パレードは、皇居前、銀座、新橋などを通った。沿道で大勢のファンが大リーグのスーパースターを歓声と拍手で迎えた。
このころ、日本の各地では野球が盛んになっており、現在の高校、大学、さらに社会人の球界は、新聞やラジオで報道されていた。一大スポーツイベントだったようである。
主催新聞社が宣伝を兼ねて大きく扱い、人気は上々だった。
「どんな大きなホームランを打つのかな」
「快速球、剛球を見たいものだね」
強打者のルー・ゲーリッグ、難攻不落の投手といわれたレフティ・グローブらへファンの期待は、チームが来日してから試合が始まるまでの間、高まるばかりだった。
▽強打、剛速球で17戦全勝、
11月7日、神宮球場で開幕した。当時、日本にはプロ野球がないから、大リーグvsアマチュアの戦いである。
大リーグ選抜チームは日本チームと17試合行い、全勝。うち7試合がシャットアウト、20本に及ぶホームランを放った。試合結果は次の通り。
①(神 宮)大リーグ7-0立教大
②(神 宮)大リーグ8-5早稲田大
③(神 宮)大リーグ4-0明治大
④(仙 台)大リーグ13-2全明治大
⑤(前 橋)大リーグ14-1全日本
⑥(神 宮)大リーグ6-3全日本
⑦(神 宮)大リーグ11-0全日本
⑧(松 本)大リーグ15-0全日本
⑨(神 宮)大リーグ2-0慶応大
⑩(静 岡)大リーグ8-1法政大
⑪(鳴 海)大リーグ5-1全慶応大
⑫(甲子園)大リーグ10-0全早稲田大
⑬(甲子園)大リーグ8-0全慶応大
⑭(下 関)大リーグ17-8八幡製鉄
⑮(甲子園)大リーグ7-2関西大
⑯(横 浜)大リーグ3-2全横浜
⑰(横 浜)大リーグ11-5横浜高商倶楽部
▽6勝無敗、55奪三振のスモークボール、
神宮球場での第2戦で、日本は大リーガーの想像を絶する力を目の当たりにした。1-1で迎えた7回表、早稲田大は4点を挙げた。この回、一塁が専門のゲーリッグがリリーフで登板する予想外の展開もあったが、それも攻略し、勝機が見えた場面だった。
「これで相手は本気になった。こちらは、勝てるぞ、と思い始めたんだが、すぐコテンパンにやられてね」
この話は伊達正男から聞いた。伊達は当時のナンバーワン投手として知られ、この試合で先発し、好投を続けていた。ところがその裏、打ち込まれて一挙7点を失った。
ここで救援してきたのが左腕のグローブ。大リーグを代表する投手である。その快速球はこの通り。
「グローブ投手、投げました。あっ、見えません。ボールが消えました。ストライクです!」
中継していたNHKラジオのアナウンサーがそう叫んだ。見たことのない速球だった。ストライクは主審の右手が上がったから分かったというのだ。
21球、6連続三振-。
グローブは8、9回を打者6人すべてを三振に切って取ったわけで、それに費やした投球数が21だった。
「スモークボール」
煙のように消えたボール、というわけである。8度登板し、6勝無敗、完封2。38イニングで55三振を奪い、自責点0(失点1)というけた外れの成績を残した。
この年のグローブは自己最多の31勝に加え、最多奪三振(7年連続)に防御率1位の投手三冠王。31歳、全盛時だった。(了)