第2回 華麗なる竜のカムバック(露久保孝一=産経)

▽4241日ぶりの勝利投手

どん底の迷路をさまよい、じっと耐え抜いた。かつてのヒーローから未勝利の男に落ち込んだ松坂大輔(37)が華麗なる復活を遂げた。米大リーグから日本球界に復帰して4年目。2018年4月30日のDeNA戦でシーズン3度目の先発で6回を8四死球ながらも被安打3と要所を締めて1失点に抑えた。日本では06年9月19日のソフトバンク戦以来4241日ぶりの白星となった(大リーグでの最終勝利は14年6月10日のブルワーズ戦)。

松坂といえば、快速球派でありながら頭脳を駆使した投手である。甲子園でヒーローになり、西武入団後はエースとして君臨した。06年の17勝5敗をはじめ2ケタ勝利7度をマークし、レッドソックスでも18勝3敗するなど活躍した。

しかし、09年に右肩を痛めてから体の故障が相次いだこともあって球威が衰え、日本復帰後も苦悩が続いた。ソフトバンクでは3年間で1度しかマウンドに立てなかった。中日にはテスト入団し、今季のカムバックに賭けた。

日本で12年ぶりの勝利に、「小さい子たちは僕が誰だかわからない子が多いと思うので、こうやってテレビに出て、顔を覚えてもらえるように頑張りたい」と照れながら話した。かつての怪物は、子供たちに「あすの晴れ姿」を約束するまでに心身ともに甦った。

▽奇跡のカムバックを果たした先人近藤貞雄

実は、松坂が所属するドラゴンズに、かつて驚くべき復活を果たした投手がいた。松坂はその大先輩に倣った「いつか来た道」のカムバック劇でもある。

大先輩とは、近藤貞雄だ。近藤は巨人時代の1946(昭和21)年に23勝を挙げたのだが、その秋の松山キャンプで投手にとって致命的な傷を負う。近藤はほろ酔い気分で同僚投手の宮下信明とともに宿舎に帰る途中、米進駐軍のジープと接触して倒れ、そのときガラスの破片で右手中指の腱を切る負傷だった。

全力投球が不能に陥ってしまった近藤は1年後に解雇された。同じ時期に、宮下が中日から移籍をもちかけられた。「近藤と一緒ならば」と条件を出した。近藤の解雇に責任を感じていたのだろう。それが受け入れられ、二人は48年から中日に入団した。 

新天地でチャンスをもらったものの、気持ちは暗かった。かつての投球ができないだけにいろいろ工夫した。「中指がだめなら他の指で」と3本の指で投げるパームボールを身につけた。

それがいわゆる「奇跡のカムバック」につながった。セ、パ2リーグとなった50年に10勝を挙げるなど、だれもが無理だと思った先発マウンドに戻ってきた。この復活劇を描いた映画「人生選手」が製作されている。

近藤は西鉄から巨人に移り、投手に専念した。けがをしていなければ、巨人で快速球投手としてその後も活躍しただろう、といわれた。引退後は82年に中日監督としてリーグ優勝を果たした。2006年に亡くなった。

▽「七色の変化球」で復活した松坂、

松坂は多彩な投球で打者を攻略する。球種はストレート(フォーシーム、ツーシーム、ワンシーム)、スライダー、縦スライダー、カットボール、カーブ、シュート、フォーク、チェンジアップを使い分ける。ストレートとスライダーを中心に、スライダーで打ち取るパターンが多い。

近藤がパームボールなら、松坂はさしずめ「七色の変化球」で虹をつかんだ。(了)