第8回 苦労の末の選抜チームの編成(菅谷 齊=共同通信)
▽史上最強の大リーグ選抜軍
ベーブ・ルースは主将として来日することになった。
実は、この選抜軍は厳しいルールに縛られていた。伝統のナショナル・リーグは1932年から、
「海外での試合に出てはならない」
このため、チーム編成に尽力したニューヨーク・ジャイアンツのフランク・オドールは、選手として出場できなくなった。苦肉の策として、助監督の名目で参加することになった。
監督、選手はすべてアメリカン・リーグだった。
監 督 コニー・マック(フィラデルフィア・アスレチックス)
投 手 バーノン・ゴーメッツ(ニューヨーク・ヤンキース)アール・ホワイチヒル(ワシントン・セネタース)グリーン・ブラウン(クリーブランド・インディアンス)ジョー・キャスカレラ(アスレチックス)
捕 手 モリス・バーグ(インディアンス)フランク・ヘイズ(アスレチックス)
一塁手 ルー・ゲーリッグ(ヤンキース)
二塁手 チャーリー・ゲリンジャー(デトロイト・タイガース)
三塁手 ジミー・フォックス(アスレチックス)エリック・マクネアー(アスレチックス)
遊撃手 ラビット・ウォスラー(アスレチックス)
外野手 ベーブ・ルース(ヤンキース)アール・エビレル(インディアンス)
モンド・ミラー(アスレチックス)
▽来日を懇願したゲーリッグ
ルース来日までの苦労はすでに述べた。不世出の選手の参加で、主催者が成功を確信したほどである。
他の選手にも選抜チームに加わるまでにドラマはあった。
たとえば、ゲーリッグである。
オドールから声をかけられたときは、二つ返事だった。3年前に来日しているから、日本の良さにすっかり取りつかれていた。ところがヤンキースが渋った。
「君は31年に行っているから、もういいだろう」
ヤンキースとすれば、ゲーリッグは晩年のルースに代わるチームの柱で、遠征先でトラブルに巻き込まれたら困る、と考えたのである。
球団の引き留めに抵抗したゲーリッグは、5時間もかけて日本行きを懇願したという。ゲーリッグはまじめな青年として通っていたからなのだろう、ついに球団会長が根負けして日本行きを許した、と伝えられている。
100年後にヤンキースが松井秀喜、田中将大で勝利を得るようになるとは思いもしなかっただろう。
ほかにもいる。奥方が日本行きを拒否したのである。オドールがその夫人を口説き落とし、日本行きの船に乗ることができたという。当時から奥方の意見が強かったことが分かる。
「日本では大リーグに恥じないゲームをする」
監督マックの号令の下、一行はワシントン州シアトルからエンプレス・オブ・ジャパン号に乗り、太平洋を日本に向かった。(続)