第21回 果てしない夢を

◎ビーイングと日テレのコラボ

▽長嶋監督復帰

 1993年(平成5年)は長嶋茂雄ファンにとって一つの区切りだった。長い浪人生活を経て栄光の巨人軍監督に復帰した年だからだ。長嶋復帰を盛り上げようと、日テレ・読売グループは色々な手を考える。
 一つが、プロ野球中継、「劇空間プロ野球93」のテーマソングを人気絶頂のビーイング社に作らせ、それに長嶋自身を参加させること。番組の視聴率をさらにあげようとする業界当然の企画である。

▽ビーイングブーム

 日テレが任せたのはレコード会社、ビーイングのトップだった長戸大幸プロデューサー。ビーイングはTUBEなどに始まり、B’z、ZARD、大黒摩季など、90年代を席巻したグループを数多く抱え、正に時代の中心だった。
 この唄の、作詞は上杉昇(WANDS)と坂井泉水(ZARD)、作曲家は出口雅之(REV)。ボーカルには栗林誠一郎(ZYYG)、コーラスには大黒摩季などが参加し、ビーイング総出のオールスターキャストといえた。坂井泉水はこの年の一月に「負けないで」で大ブレークしたばかりだった。

▽歌詞は正統派

 唄は「回転DOORを 抜け出した時から 何故か新しい自分を感じた」と始まり、東京ドームを思わすフレーズに、野球に特化すると思いきや、「昨日みた夢はきっと叶うと呟くように 暖かな風が 吹き抜けていく」と続き、若者の夢を歌い上げる。
 中味はZARDにあるような若者応援ソングである。野球番組のテーマ曲として依頼されたが、直接の野球言葉を避けたのはミュージシャン魂だろうか。

▽さびに長さん登場

 サビのうち、「強く 強く 信じていたい」「ずっと ずっと 胸にだきしめ」の部分一箇所に長嶋さんが参加している。
 長戸プロデューサーによれば、上杉と坂井が歌唱指導したそうだ。病魔に襲われた上、07年に不慮の事故で亡くなった坂井は一大回顧ブームも呼ぶ、世間にあまり顔を見せないカリスマだった。
 長嶋さんはその時、「坂井さんとは懐かしい思い出がありますね。野球中継番組のイメージソングが作られ、坂井さんが作詞、私も歌というより、声で参加したことです」とコメントした。ZARDファンも長嶋ファンも聴くと胸が切なくなる人がいるかもしれない。
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