「いつか来た記者道」(27)-(露久保孝一=産経)

◎2番は強打者かバント名人か
 コロナ禍によって、2020年のプロ野球は異常な公式戦が続いている。
予想通りに活躍する選手と期待を裏切って低迷する選手と、悲喜こもごもだが、その中にあって「あのチームは、2番打者がいいからな」と打順に注目している通のファンもいる。
打順といえば、どのような打線を組んで得点を増やすかの攻撃の重要なポイントになる。重視されるのはクリーンアップ・トリオ、1番あるいは7番打者であり、ファンもそこに注目する。上位打線のなかで、「特殊な存在」なのが2番打者である。
かつては「トップバッターが塁に出たあと、バントで送る役目」と見られていた。現在でも、その見方は少なからず残っている。アマチュア野球にはその傾向が強い。とすると、2番打者は地味な存在か、と見られそうだが、そうではない。
強打者が打つべきだ、という監督がいた。あの西鉄ライオンズの三原脩である。
▽黄金期の西鉄にいた2番強打者の豊田
 西鉄は1957年、パを圧倒的な強さで制し日本シリーズでは巨人を4勝1分けに打ち砕いた。この年が、史上最強軍団といわれた黄金期であった。
当時の2番打者は、豊田泰光だった。三原は、豊田に積極打法を命じた。1番で出塁した高倉照幸のあと、2番の豊田にバントではなく、強打させて先制点を奪う戦法をとった。
3番・中西太、4番・大下弘、5番・関口清治とホームラン打者、長距離砲が続き、6番からも好打者を並べ、大量点につなげる猛烈攻撃型の打順にした。
 豊田は57年、打率.287, 本塁打18, 打点59, 盗塁24の記録を残している。4番大下は打率.306, 本塁打4, 打点55だったから、豊田は本塁打、打点で4番を上回った。2番でありながら、クリーンアップ並みの成績を残しており、三原の「2番に強打者」構想が計算通りの成功を収めたのである。豊田の2番は、のちに「恐怖の2番打者」と呼ばれる先駆けでもあったのだ。
 2000年に、他チームの投手を震え上がらせる恐るべき2番打者が登場した。日本ハムの小笠原道大である。シーズン通じて主に2番を打ち、打率.329, 本塁打31本、打点は 100を超える(102)好成績をマークした。いわゆる主砲級の打撃でチームを引っ張った。文字通りの、攻撃的な2番打者であったため、「2番打者の送りバント」という役割は皆無、つまりゼロだった。
▽4番並みの坂本、山田、ソトらの存在
 最近の各チームの戦い方には、2番打者には強打者を、という先祖がえり現象があらわれている―という声がネット裏で聞かれる。
19年は、巨人・坂本勇人が2番に座り、打率.312、本塁打40、打点94をマークし、セ・リーグMVPに輝く大活躍をした。本塁打と打点の記録を見れば、4番打者がチームに2人いるような脅威を他チームに与えたのである。
原監督の「強打者を2番に置くことで得点力が増した」ことが成功し、巨人は5年ぶりのリーグ優勝を勝ち取った。
 20年のプロ野球においても、2番には有力選手がついている。巨人・坂本のほか、3度トリプルスリー(3割、30本塁打、30盗塁)を達成しているヤクルト・山田哲人が3番から2番に入り、2年連続本塁打王のDeNAのソトは2番を打っている。ラミレス監督が、大リーグに多い「2番強打者」の影響を受けたこともあるが、ラミレス自身、もともとそのような考え方を持っていたといわれる。
その一方で、バンドが上手く俊足・好打の「オーソドックス」な2番打者も多い。ロッテから移籍した楽天の鈴木大地、中日の大島洋平らは堅実なプレーを見せている。
 ペナントレースの行方は、2番打者の活躍度とチーム成績との結びつきを見ていくと、観戦魅力はさらに増しそうである。(続)