「セ・リーグDH採用で球界が変わる?」-(山田 收=報知)

第5回 DHが生んだ素晴らしき野球人③
 DHが選手寿命を延ばし、さらにタイトルまで取らせた代表格が山崎武司だろう。
中日在籍10年目の1996年、39本塁打で初のキングとなった。トレード志願して移籍したオリックスで2年プレーした2004年オフ。人生が変わる。戦力外通告を受け、地元・愛知で解説者になる予定が、翌年から新規参入が決まっていた楽天から入団オファーを受け現役続行を決めた。
 06年から楽天の指揮を執った野村克也監督との出会いが沈みかけた巨艦を浮上させることになる。
山崎と言えばまさにパワーヒッターの典型。当たればどこまでも打球が飛ぶが、三振も多く確実性に乏しい。そんな男に野村は、
「三振でもいい当たりでもアウトはアウト。根拠があれば思い切り振ればいい」
と語りかけた。根拠とは、配球の読みである。「次に相手の投手はどんな球種をどこに投げてくるか」を推測してスイングするのだ。もともと打球を飛ばす力のある打者だけに、読みが深まれば、三振を怖がらず持ち前の長打力に磨きがかかるという訳だ。
 野村再生工場の筆頭格として、39歳となった07年には43本塁打、108打点で2冠に輝いている。40歳で2冠を獲得した門田博光に次ぐ高齢者2冠王である。41歳の09年にも39本、107打点をマーク。ともにベストナインの指名打者に選出されている。落合博満、タフィー・ローズに次ぐ史上3人目の両リーグでの本塁打王の偉業を達成した。
「野村監督には考える野球を教えて頂いた。足を向けて寝られない恩人です」
と感謝の言葉を口にしている。
 11年ぶりの本塁打王獲得の要因は、野村の教えとDHだろう。楽天では、DHのほか一塁で出場した山崎本人は、
「DHなりの苦労がある。試合の入り方、特に第1打席への持っていき方が難しかった」
と振り返っている。
「ウオーミングアップでいくら汗をかいても、守備に就いて緊張して体の芯からかく汗とは違う」
と打撃専任ならではの苦悩も吐露している。
 楽天退団後には古巣・中日に復帰、2年在籍した。引退を決意してから9年も現役を続け、プロ野球生活は27年を数えた。通算403本のアーチを架けた男は指名打者をどう思うのか。
「打者の枠が1つ増えるわけで、くすぶっている選手に出場の機会が与えられるのはいいと思う。セにDH導入の論議があるようだが、賛成だね」。(続)