「菊とペン」-(菊地 順一=デイリースポーツ)

◎いまだに思い出す、日本シリーズでの先発は槙原…
 2021年のプロ野球はヤクルトとオリックスが優勝、ともに2年連続最下位からの栄冠となった。前年の最下位チームが両リーグでそろって優勝したのは史上初で、こうなると日本シリーズでの対決を期待したいところだが、その前にクライマックス・シリーズがある。さて、どうなることか。
 日本シリーズと言えば、私にとって忘れられないのが1990年の巨人対西武である。
 この年の巨人は強かった。開幕から独走態勢で16試合を残して9月8日には2年連続35度目のリーグ優勝を決めた。史上最速で最終的に2位・広島に22ゲーム差を付けた。圧勝の2文字だった。
 西武もまた盤石の投手陣を要し、早くから独走態勢に入り、2位・オリックスに12ゲーム差を付けてゴールインした。指揮を執っていたのは言うまでもなく森祇晶監督である。
 第1戦は10月20日、東京ドームである。当時、私は巨人担当である。前評判は巨人有利だった。さて、当日の紙面、いまも昔も変わらないと思うが、先発投手がメインである。
 そしてまた、当時は予告先発はない。先発投手を予想して当てる。入社以来、先輩記者からは、「先発を外す記者はダメだ。先発投手の起用方法は監督の考えが凝縮している。普段から監督をしっかりと取材していればわかる。外すのは取材していない証拠だ」と散々言われてきた。まあ、正論である。
 で、私が第1戦、先発で間違いないと思ったのが斎藤雅樹だった。2年連続最多勝と最優秀防御率を獲得していた。当然だと確信してろくな取材をしなかった。
 第1戦当日、試合前の練習から不穏な雰囲気が漂った。スポーツ紙に槙原寛己と予測した社があったのである。ほとんどが斎藤だ。結果は槙原の先発で、東京ドームにその名が響いた時はガックリきた。もちろん、デスクには嫌みを言われた。
 奇襲だったと思う。この年の槙原は9勝5敗の成績だった。初回、いきなり2死一、三塁と攻め込まれデストラーデにバックスクリーンに一発を叩き込まれた。この先制弾がすべてだった。
 以後、斎藤、桑田真澄も西武を止められず4連敗、4戦とも4点差以上の完全な敗北だった。試合間隔が空き過ぎたこともあるが、西武はとにかく強かった。選手会長だった岡崎郁が「野球観が変わった」と話したが、語り草となった。
 私、いまでも日本シリーズの話題になると「ピッチャー、槙原」のアナウンスをほろ苦く思い出してしまう。しばらく尾を引いた。いまはいいよな。先発予告が当たり前になっている。先発を予想し、当てるのは記者教育にももってこいなのだが。
 ちなみに巨人は前年の1989年、近鉄との日本シリーズで3連敗しながら4連勝の離れ業で日本一になっていた。だが、巨人はこの時の4タテで、以後、長く尾を引いたような気がする。(了)