野球とともにスポーツの内と外」-(佐藤 彰雄=スポーツニッポン)

◎松坂は「高田型」~引き際の美学
 かつてファンを魅了した2人の格闘家がいました。高田延彦と船木誠勝。高田はご存知「平成の格闘王」、船木は“瞬殺”の言葉を生んだパンクラスの看板スターですね。2人はともに400戦以上無敗を誇ったレジェンド、グレイシー柔術のヒクソン・グレイシー(ブラジル)と戦い敗れています。
 ヒクソン戦に対する2人の共通項は、いずれもこの試合を格闘技人生の集大成と位置づけ、勝っても負けてもラストファイトにすること、でした。
が、ヒクソンと2度戦って連敗した高田は、試合後「リングにまだ置き忘れているものがある」と引退宣言を撤回、現役にこだわって最後はボロボロになりました。
対照的に船木は、負けたリングの上で即、引退を表明。俳優への転身という華やかな引き際を演出しました。ファンの評価は、カッコ悪すぎる高田、カッコ良すぎる船木-。
▽剛速球は影を潜め…
 第一線で活躍するアスリートには必ず訪れる、避けては通れない難題が“引退への決断”でしょうか。
プロボクシングの元世界王者・浜田剛史氏(現・帝拳代表)は、自身の経験を踏まえて、
「悔いを残しているかいないかが決断の物差しとなりますね。(敗れた選手が)持てる力を出し切った敗戦と考えるなら“(引退も)仕方ない”となるでしょう。出し切れなかった不満が残れば“もう一丁”となるでしょうね」
と話します。
 さてプロ野球に目を転じて10月19日、対日本ハム戦で引退登板に臨んだ西武・松坂大輔投手(41)の引き際はどうだったでしょうか。
初回、先発登板し「1番・DH」の打者1人(近藤健介外野手)に投げた「計5球」。3ボール1ストライクからの1球は内角に外れ、四球となりました。力のない山なりのボール。剛速球で球界を席巻した「平成の怪物」の称号も、もはや“元”をつけざるを得ないラストピッチング。松坂自身「投げたくなかった」そうですが、私も個人的な意見を言わせてもらうなら「見たくない」マウンドでした。
▽諦めの悪さを褒めたい
 引退会見で松坂が語った言葉(一部を抜粋)をスポニチ本紙はこう報じています。
 -18歳でプロ入り。23年間を振り返って…。
 松 坂「半分以上は故障との闘い。いい思いと、どん底も同じくらい経験した」
 -(自分を)褒めたいところは?
 松 坂「叩かれることも多かったが、諦めの悪さを褒めてやりたい」
 故障との闘いは過酷な日々だったと思います。そんな中で松坂は、浜田氏が言うように悔いを残しながら、何をマウンドに置き忘れて現役生活にこだわってきたのでしょうか。
松坂の諦めを悪くしたもの…それは、横浜高3年時の1998年に臨んだ夏の甲子園だったといいます。準々決勝戦でPL学園との延長17回の激闘を制し、京都成章との決勝戦ではノーヒットノーランで全国制覇を成し遂げました。
 最後まで「諦めずにやれば道は開ける」ことをそのとき知り、それが松坂をとことん諦めの悪い「高田型」にしたのでしょうか。もっとも、あまりにカッコ良すぎる「船木型」に対して「高田型」のカッコ悪さは、今の時代、カッコ悪すぎることがカッコ良いじゃん、とも評価され様々です。
果たして松坂の生きざまは?(了)