「中継アナの鉄人」深澤弘さんを悼む(7)-(露久保 孝一 = 産 経)

◎他のアナが褒めた話のうまさ
 深澤さんは、1964 (昭和39)年のニッポン放送アナウンサーを皮切りに50年間にわたり、実況中継を務めてきた。ラジオ局の城から外に飛び出して、「戦場」における「合戦」の模様を市民にわかりやすく伝え続けた。城の中にいて、悠然と外の戦いを伺っている家老や家臣のような存在ではなかった。第一線の現場主義に徹した「生涯一アナ」であった。
 プロ野球選手からキャスターになった人に、佐々木信也さんがいる。大映、大毎などで活躍して現役引退したあと、76年にフジテレビ系の「プロ野球ニュース」の司会を始め、高い人気を維持した。本人は「アナウンサーのひとりとして」喋りがうまくなろうと、良きアナウンサーの話し方を参考にし、真似をして一流の仲間入りを目指した。
▽佐々木信也氏「愛情あるれる実況」
 佐々木さんは、アナウンサーと解説者を含めて、優秀なる喋り手として次のような人をあげている。NHK大相撲中継における北出清五郎アナウンサー、解説者であった神風や出羽錦、さらに野球中継を務めた志村正順、明石勇アナウンサーらを高く評価した。
 民放に目を移すと、佐々木さんは、ニッポン放送「ショウアプナイター」のこの人を真っ先にあげた。深澤弘アナウンサーである。プロ野球中継で、立て板に水のごとくはっきりした口調で話す実況は、民放のラジオで傑出していた、と佐々木さんは称賛する。同氏が、深澤さんの実況を聴いていて魅力を感じたのは、野球そのものに対する知識と選手たちをよく知り親しんでいる愛情が放送ににじみ出ていたことである。佐々木さんは、深澤さんを「深ちゃん」と呼んで、顔を合わせれば野球談議を楽しんだ。それだけに、深ちゃんが亡くなったときには大きなショックを受けていた。
 ニッポン放送以外のアナウンサーは、表向き他局のアナを褒めることはしないが、「深澤さんみたいな迫力ある中継にあこがれている」とか、「深澤さんのようなテンポよい中継をしてみたいな」などという声を私(露久保)は直接聞いたことがある。
▽良きアナの条件をそなえた「鉄人」
 ニッポン放送の後輩には、深澤さんを尊敬する多くのアナウンサーがいる。深澤さんが亡くなった日(2021年9月8日)の夕方、ニッポン放送「ショウアップナイタープレイボール」では、教え子である松本秀夫アナが深澤さんの訃報を伝えた。ニッポン放送時代に深澤さんと親しかった垣花正さんは、その後フリーアナに転向した。深澤さんが逝去された時は、「垣花正 あなたとハッピー」の番組の中で、良き先輩を偲んだ。
 テレビ、ラジオ業界では、優れたスポーツアナは、さわやかさ、正確さ、テンポの良さ、スピード感とともにユーモアを交えた実況ができることが条件である、といわれる。その洗練された喋り方が、視聴者の耳に心地よく伝わるのである。深澤さんの実況には、そのすべての要素が織り込まれていた、と佐々木さんを始め後輩アナ、解説者が見ていた。
 私は、そんな喋り上手なアナに向かって、端的に「こんにちは、実況中継の鉄人」とあいさつしていた。深澤さんは、無言でほほを崩すのみであった。(続)