「いつか来た記者道」(48) - (露久保孝一=産経)
◎スポーツに観光に、沖縄が熱くなる
沖縄県は2022年5月15日、アメリカ占領統治から日本復帰50周年を迎えた。現在の沖縄は、紺碧の海と整備されたレジャー施設によって、年間を通じて人気の観光地になっている。プロ野球では、春のキャンプ地として風物詩のひとつになり話題を提供している。同年2月には12球団のうち、ヤクルト、巨人、ロッテ、楽天など9チームがこの地に集合し、選手たちは一足早い球音を響かせた。
米国の施政下にあった半世紀、スポーツの世界ではプロボクシングが大人気となった。興南高出身の具志堅用高が本土復帰4年後の1976年、沖縄初の世界チャンピオンになり、地元でも話題騒然となる。具志堅はWBC世界ライトフライ級チャンピオン(当時は世界ジュニアフライ級)を13度連続防衛する強さを誇り、沖縄の名を世界に知らしめた。具志堅に続けとばかり、その後、上原康恒、渡嘉敷勝男ら8人の世界チャンピオンが生まれている。
▽高校野球が生んだ郷土愛と自信
沖縄県民は、野球にも熱心なファンが多いことで知られている。王者・具志堅が誕生する前に、彼の出身校の興南高が県民を興奮と熱気に包み込んだ。68年8月20日午後、沖縄で「すべての機能がマヒした」と新聞が伝えるほどの出来事が起きた。いつもは人でにぎわう那覇市の国際通りが空っぽになり、行政の窓口はがら空きになった。
その時、沖縄の人たちはテレビ中継にくぎ付けになったのだ。夏の甲子園高校野球で、県代表の興南高が初めてベスト4に進出し「日本の舞台」で大活躍する姿に感動した。「興南旋風」は、野球を超えて県民に自信と郷土愛を与え、4年後の本土復帰への機運を高めたのである。
沖縄の高校野球は、その後、甲子園へ駒を進めるが、本土勢の壁は厚く決勝まで進むことはできなかった。90年夏にやっと沖縄水産高が初の決勝戦に挑んだが敗退した。同校は翌年も準優勝だった。
本土復帰から27年たった99年、選抜大会で沖縄尚学高が県勢初の全国制覇を果たした。同校は2008年に2度目の日本一についている。その2年後10年に興南高が史上6校目となる甲子園春夏連覇を達成した。全国に「沖縄の高校は強い」と印象付けた。
▽復帰50周年に花添える晴れ姿
22年になり、また沖縄出身者初という快記録が生まれた。5月11日、ソフトバンクの東浜巨(ひがしはま・なお)投手が西武戦でノーヒットノーランをやってのけた。東浜は沖縄尚学高3年の時、春の甲子園でエースとして優勝を経験している。本土復帰50周年に花を添える明るい話題をつくった。
沖縄といえば、長い間、米軍基地問題に揺れているが、県自体はスポーツ事業に熱心に取り組んでいる。沖縄県には文化観光スポーツ部があり、ホームページで細かい情報を伝えている。「スポーツツーリズムinオキナワ」のページでは、スポーツ・チームと選手の紹介とともに、観光客が気楽に楽しめるスポーツ施設、体験コーナー、お勧めの気楽なスポーツなどを設けている。
春のプロ野球キャンプ地見学だけでなく、どの季節でも多様なスポーツを楽しめるオキナワがさらに注目されそうである。(続)