第60回 ミセス・ロビンソン(島田 健=日本経済)
◎なぜかランキング入り
▽映画「卒業」
米国では1967(昭和42)年封切り(日本では翌年)された「卒業」はダスティン・ホフマン主演の青春映画。東部の有名大学を卒業したベンは故郷のカリフォルニアに帰るが、進路が決まらず不安定な日々を送る。有閑マダムに誘われるが、その娘を真剣に愛するようになる。そして彼女が他の男性と挙げている結婚式の最中に花嫁を奪って去る。結構、話題になったものだが、サウンド・オブ・サイレンスなどサイモンとガーファンクルの唄も大ヒットになった。
▽不倫の相手
この唄はベンの不倫相手となった、マダムを主人公にした挿入唄である。ギターの前奏、スキャットに続いて「そうだこれはいかがですか ミセス・ロビンソン イエス様はあなたが知っているより愛があります ホウホウホウ 神のお恵みがありますように お祈りしていれば天国へ招待してくれます ヘイヘイヘイ」。映画にはこれだけ。
この唄が球界で有名になり、米国の野球の唄ランキングの常連になったのは、68年にフルバージョンが完成してリリースされてからだ。
▽ディマジオ
最後のバースに「ジョー・ディマジオはどこへ行った 米国民はみんな悲しがっている ウーウーウー すごいジョーはもういない ヘイヘイヘイ」と入っていたからだ。名選手はもう引退していたが、コーヒー会社のCMも引き受けていて元気に活動していた。なぜ、という疑問にレストランでポール・サイモンがディマジオにたまたま会った時に、「ディマジオは真の米国の英雄であり、今は本当の英雄がいないと嘆いたもの」と説明したというエピソードが残っている。
▽マントル
ディマジオが99年3月に亡くなった後、ヤンキー・スタジアムで行われた追悼試合でサイモンはギター一本でこの唄を披露した。作詞作曲とも担当したサイモンは根っからのヤンキースファンで、ディマジオの次の世代、ミッキー・マントルのファンでもあった。70年にそのマントルとのトーク番組で一緒に出演したときに「どうしてぼくじゃなかったの」と聞かれて、「音節が合わなかった」と答えたとも伝えられている。ソロになってからサイモンはこの部分を他の選手と入れ替えて唄うことがあり、日本公演の時は「王貞治」と唄ったそうだ。
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