「記録の交差点」(12)-(山田 收=報知)
◎第12回 佐々木朗希(ロッテ)①
これまで、坂本勇人、中村剛也という現在のプロ野球界を代表するベテラン野手が築き上げてきた数字と今後への期待を軸に、先人たちが残してきた偉大な記録との邂逅を取り上げてきた。
今回からのシリーズでは主役を一気に若返らせてみたい。もう2年以上も前になる。2022年4月10日。ロッテ・オリックス3回戦(zozoマリン)で、プロ3年目の右腕・佐々木朗希が28年ぶりの完全試合を成し遂げた。
このシリーズで取り上げるのは、100㍄超の直球とともに彼の代名詞である奪三振だ。1試合19奪三振はプロ野球タイ記録、13連続奪三振は、プロ野球新記録だ。しかもこの大記録をわずか105球で達成したのだから、アメージングとしか言いようがない。
完全試合というメモリアルな試合での最多奪三振という快挙に、日本中が沸き立った。20歳5か月でのパーフェクトゲーム達成は、1960年、島田源太郎(大洋)の20歳11か月を上回る最年少記録だった。付け加えるならそれまでの完全試合での最多奪三振は、1968年9月14日、外木場義郎(広島)が大洋戦でマークした16。投球数は114だった。ちなみに完全試合の最少投球数は、高橋善正(東映)が1971年8月21日の西鉄戦で残した86球である(奪三振は1)。
佐々木はこの試合、1イニング14球が最多である(4回)。大記録達成のプレッシャーがかかる最終回はわずか7球というのだから驚きだ。3ボールとなったのは7回、先頭の後藤に対して(3-1)だけで、この日の制球力の良さと勝負の早さがうかがえる。もともと160㌔台のストレートと140㌔台のフォークボールの2大武器が軸。相手打者も当然どちらかに絞り込んで対応したのだと思う。
打撃結果は、空振り三振15、見逃し三振4、一塁ゴロ1、二塁ゴロ2、三塁ゴロ1、遊ゴロ1、中飛1、右飛1、捕邪飛1で、左翼手・高部だけが打球に触れられなかった。
今回、注目したのは、1995年に19奪三振を打ち立てた野田浩司(オリックス)との対比である。野田がそれまで足立光宏(阪急=1962年)、野茂英雄(近鉄=1990年)、そして自身(1994年)のもつ17を破ったのは、95年4月21日のロッテ戦(千葉マリン)である。お気付きだろう。今回と同じカード。しかも11日のズレしかない。佐々木はデーゲームであり、野田はナイトゲームという違いはあるが。
マリン球場といえば、海からの強風が名物で、多くの選手の喜怒哀楽を刻んできた。センターからの風がバックネットで跳ね返り、投手にとっては逆風となる。これが投球を左右する。とくにフォークボールなどの変化球が予測不能の動きをするといわれている。もともと「お化けフォーク」(野村克也監督の命名とか。千賀の先輩というわけだ)といわれた宝刀がとてつもない変化をした。
佐々木とその27年前の野田の姿を再現しながらこの快記録を見つめ直してみようと思う。(続)=記録は24年5月27日現在=