「大リーグ見聞録」(76)-(荻野 通久=日刊ゲンダイ)
◎変わる日米球団の関係
▽タンパリング疑惑
少し前の話になるが、MLBが傘下30球団に日本のプロ野球をはじめ、外国のリーグ、チームと業務関係を結ばないように通達を出した。目的はタンパリング防止。将来の大リーグ移籍に向けて、ドジャースがロッテの佐々木朗希に接触している、すでに入団が決まっているのでは、とのタンパリング疑惑が取りざたされているからという。
日ハムがレンジャース、DeNAがダイヤモンドバックスと業務提携をしていたが、3月に解消している。かつてのような活発な交流、動きは両球団には見られなかった。
これまでMLBあるいはMLB球団と最も深い関係を持ったのは巨人だろう。ドジャースと業務提携し、キャンプ地フロリダ州ベロビーチで、1961年に最初のキャンプを実施。計4度行った。86年から5度、アリゾナ州パームスプリングスで秋季キャンプも張った。
キャンプだけではない。例えば、87年には前年ドラフト1位で入団した木田優夫(日大明誠高、現日ハムGM)をフロリダ州のマイアミリーグに野球留学させた。木田に実戦経験を積ませるためだった。巨人ではドラフト1位といえども、当時は高校生ルーキーは二軍でもなかなか登板機会に恵まれなかった。巨人は年俸を負担して、木田の所属するチームの監督にメジャー経験のある指導者を据えた。そしてどんなに打たれても、木田を先発ローテーションで起用し続けさせた。木田は2年間、アメリカで腕を磨き、帰国後、巨人で活躍した(9年間で50勝57敗20セーブ)。
▽野球はビジネス
中日もMLBと活発な交流をした。星野仙一が87年に中日監督に就任すると、ドジャースのアイク生原を臨時コーチとして招聘。翌年にはベロビーチでキャンプを行った。山本昌や山崎武司など、のちに主力となる選手をドジャース傘下のマイナーリーグのチームに野球留学させたのはよく知られている。
プロ野球のレベルが上がった今日では考えられないが、かつては日本のチームがキャンプや野球留学で戦法、若手の育成、フロントのあり方など、多方面にわたってMLB球団から学んでいたのである。
ちなみに中日のホームのユニホームの胸のDragonsの文字を、ドジャースのDojgersそっくりの字体、デザインにしたのも交流の表れだろう。星野監督がドジャースと交渉して実現した。その際、中日はドジャースに1億円の使用料を払った。中日関係者から直接、聞いた話だ。友好関係であってもビジネスはビジネス。MLB球団はお人好しではない。(了)