「記録の交差点」(14)-(山田 收=報知)
第14回 佐々木朗希③
前回に続き、1995年4月21日のロッテ・オリックス3回戦(千葉マリン)が舞台である。公式スコアカードには「風強く左→本」という公式記録員の記載がある。この強風がバックネット側に当たり、投手にすれば逆風となって返ってくる。これが野田浩司の元祖“お化けフォーク”をさらに変化させ、三振の山が築かれるのだ。
野田は「記録を意識したのは7回に16個目(五十嵐)を取ってから」という。次打者の代打・山下を空振りで切ってとり、結局この回は先頭の愛甲から3打者連続奪三振で17。自己最多でプロ野球タイ記録となった。8回、先頭の平野から空振りで18個目を空振りで奪い、プロ野球新記録をマークした。この日最多の4者連続三振である。
野田の快投とは裏腹に、試合はオリックスが1―0と最少得点差のリードで、残り1イニングを迎えた。ドラマはここで幕を開ける。9回裏、先頭の5番・初芝に中前安打される。インカビリアの三塁ゴロで走者が入れ替わり、1死一塁(代走・西岡)。続く平井がセンターへ低いライナーを放った。これを田口壮がダイレクト捕球をしようとダイビングしたが、後逸。一塁走者・西岡が生還。土壇場で同点となり、なおも1死三塁を背負うことになった。
新記録に花を添える1―0完封を狙った試合が、サヨナラ負けのピンチに暗転した。ここでベンチの指示は、愛甲、五十嵐を連続敬遠で1死満塁。背水の陣を敷いた。8回から1番に入って初対決となった山中を浅い右飛に打ち取り、2アウト。18個目を奪った平野から2打席連続で空振り三振に斬って取り、19個目を刻んだ。
試合は延長戦。野田の投球数は162。本人はまだ投げるつもりで、ベンチ前で投球練習を始めようとしたらしい。だが山田久志コーチは「代わるぞ」と声を掛けた。「イヤです。この試合を僕にください」と野田を答えたという。自分の手で試合の決着をつけたかったのだ。その思いに押された山田コーチは仰木彬監督にお伺いを立てたが却下。「悪い。オレの力不足だ」。10回のマウンドを平井に託した結果、サヨナラ負けを喫した。
試合後、新記録を取り上げる民放局の出演依頼も「チームが負けたから」と断り、ホテルに帰った。自室のある階でエレベーターを降りると、目の前のフロアに正座した田口がいた。「申し訳ありませんでした」と頭を下げたという。新記録を勝利で飾らせたいという田口の思いと果敢なプレーを十分に理解したのだろう。「いいよ。立てよ。そんなこと気にするな。お前のプレーに助けてもらうこともあるんやし、今回はたまたまやんか」と語りかけた」という。(澤宮優「野球狂列伝」)
同じ19個の三振奪取を、完全試合で達成した佐々木朗希とは対照的な結末ではあったが、記録にも記憶にも残る敗戦だったのでは、と思えるのだ。=記録は24年7月26日現在=(続) お詫び 第13回の原稿で藤井康夫とありますが、康雄の誤りでした。