「野球とともにスポーツの内と外」(63)-(佐藤 彰雄=スポーツニッポン)

◎野球という拠(よ)り所
 1980年(昭55)11月29日未明に起きた「金属バット殺人事件」を記憶しているでしょうか。大学2浪中の20歳の受験生が金属製野球バットで両親を撲殺した事件です。この出来事を「金属バット殺人事件」のタイトルで上梓した元報知新聞(現・スポーツ報知)勤務のノンフィクション作家・佐瀬稔氏(故人)は、なぜこういうことを起こしたのか、という「動機」が起訴状にも明らかにされていないことに焦点をあて“そのなぜ”に迫っていきます。ちなみに佐瀬氏は私たちの年代にとっては大先輩にあたる記者でした。
▽動機不明の惨事の数々
 同年代の前半にかけて社会を震撼とさせたのが、全国で起きた「中学生の校内暴力」でした。授業中の態度を注意した教師がその生徒に殴る蹴るの暴行を受け、あげく土下座も強要される、警察沙汰にもなる。酒やタバコ、シンナーの濫用。生徒間のイジメも日常的に起きる。なぜ中学生がこれほどまでに荒れたのか。“そのなぜ”が解明できない「動機」不明の学級崩壊の数々-。
 1983年(昭58)3月。「第55回選抜高校野球大会」が阪神甲子園球場で開催されました。私は大会期間中の連載要員として駆り出されます。事前の編集会議で提案された連載の内容が「高校球児だってついこの前までは中学生だろ。なぜ中学生が荒れるのか。彼らの意見を思い切り反映させようじゃないか」というもの。題して「青春の光と影」-。言うは易しです。厄介なことになったものだ、と思いながら、私は現地入りしてからグラウンドには背を向けて連日、宿舎を巡り「悪いコいませんか?」と取材を開始しました。
▽ヤンチャたちの生活と意見
 当初、不審者に思われたに違いなかっただろう私ですが、連載の意図を話すと各校の先生たちは「たくさんいますヨ」と協力的になってくれて中学校時代の「番長」やら「総番長」やら「突っ張り」やらを次々に紹介してくれます。そして私が抱えた不安などウソのように様々な意見が自由奔放に飛び出しました。学校や社会のキマリに意味もなく反発した思春期。「ボクも似たようなことをやって来ましたよ。でも今、思えばバカバカしい」と主将を務める捕手の元番長。「いいですか。ホ-ムは正門です。一塁が西門で三塁が東門。勝つために各門を死守しなければダメなんですよ。特に正門は絶対です」などという秘策? を笑って言えるようにもなっていました。
 動機の不明を「受験戦争」や「管理社会」など理不尽に対する、ぶつけようのない“憤怒(ふんぬ)”などと安易に分析など出来ませんが、私が話を聞いた元ヤンチャたちは、それぞれがそれぞれの理由で野球に触れ、その野球を拠り所として危ないときを乗り切っていました。私はこの連載を通して野球を含むスポーツが持つ“されど”の部分の大きさをつくづくと思い知らされていました。(了)