「インタビュー」柴田 勲(1)-(聞き手・露久保 孝一=産経)
◎V9を「運」としかいわなかった川上監督
プロ野球界で燦然と輝く記録といえば、巨人のV9は他を圧倒する金字塔である。昭和40(1965)年から9年連続して日本一に就いている。米大リーグでもワールドシリーズ連覇は、ヤンキースの5連覇までである。その巨人のV9から2023年は50周年を迎えた。東京プロ野球記者ОBクラブは24年6月18日、総会・懇親会でV9から50周年を祝い、ゲストに柴田勲さんを迎えた。柴田さんは「赤い手袋」の盗塁王として人気を博し、V9の中心選手として活躍した。その会合におけるスピーチと追加取材を合わせインタビュー形式で連載記事として掲載していきます。
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-昭和40年から始まった巨人V9は、プロ野球界にあって空前絶後の大記録です。そのV9から昨年で50年が過ぎました。柴田さんにとっても、大変な栄光の時代を過ごしました。
柴 田「もう半世紀が過ぎたんですね。あの頃はいろいろあって、ひとつひとつ覚えていますよ。きょうは、実は、巨人軍に入団した当時と同じ格好できました。(赤いスポーツシャツとジーパン姿)。巨人、V9というとこの赤がさっと思う浮かぶんですよ。”巨人軍柴田勲”はこの赤から始まった。赤い手袋でパット花が開いたという感じです」
-V9は、川上哲治監督時代に達成された9年連続日本一の快挙。川上監督自身は、V9の強さをどう見ていましたか?
柴 田「川上さんは、V9時代は勝利のことを聞かれると、いつも答えは『運がよかったから』です。心の中では『俺の力だ』『俺がチームを指導したからだ』と言いたかったと思うけど、自分の手柄には決してしなかった」
-柴田さんがいて、王貞治さんと長嶋茂雄さんがいた。ONは打撃でチームを引っ張った。金田正一、堀内恒夫投手もいた。個人の力もすごかったですが、川上監督は選手の名前はあげないのですか?
柴 田「試合に勝っても選手の名前はあげないですね。ONがいたからとはいわない。俺の采配の勝利だともいわない。ただ『運』というばかりです。試合に関しては、時々『守備がよかったからね』とは言っていた」
-チームにおけるV9のメンタルな面はなんですか?
柴 田「そんな意識はまったくなかった。選手はみんな好きなことを自由にやっていた。てんでばらばらなチームだった。人気漫才コンビのコロンビア・トップ・ライトは、口もきかないほどの仲の悪いカップルだったが、本番になると息ぴったりの良きコンビで演技をした。巨人もそんな軍団だった。普段は、それぞれが勝手気ままに振る舞っていたが、いざ試合になるとまとまり、チームがひとつになって戦う。それは練習のチームプレーの時からありました。川上さんはドジャース戦法を採り入れたので、それを練習、試合で実行しチームの協力体制をつくりあげたわけです」 (続)
≪しばた・いさお≫1944(昭和19)年2月8日、神奈川県横浜市生れ。法政二高でエースとして60年夏、61年春の甲子園で連続優勝。62年巨人に入団。この年0勝2敗で終り翌年から外野手に転向。スイッチヒッターになり「赤手袋」をはめて盗塁王を6度。通算579盗塁は現在もセ・リーグ記録。通算2018安打。日本プロ野球名球会会員。