「記録の交差点」(16)-(山田 收=報知)
第16回 佐々木朗希⑤
2022年4月10日、プロ3年目の佐々木朗希が史上最年少で達成した完全試合。その中で打ち立てた前人未到の13連続奪三振。これは64年ぶりのプロ野球記録更新だった。それまでの記録保持者は2人。1957年7月23日、梶本隆夫(阪急)が、南海戦の3回から6回にかけてマーク。翌年5月31日には、土橋正幸(東映)が1回から4回にかけて奪った9でパ・リーグ記録でもあった。
梶本といえば、米田哲也とともに阪急を支えた左腕。通算200勝以上で唯1人負け越している(254勝255敗)投手としても知られている。勝利に苦労した投手らしく、この試合でも延長戦に持ち込まれ、12回で16個の三振を奪い、その裏、古川清藏(戦前、本塁打王獲得の強肩好打の外野手)のサヨナラ弾でやっと勝つという苦戦ぶりだった。
この時、梶本自身は全く記録を意識していなかったという。捕手の山下健に「お前、連続奪三振や」と教えられ、初めて気付いた。それまでの記録すら知らなかった。投手の皆川睦雄から始まったので、10人目は皆川である。ところが、この投手のバットに記録はストップされ、史上初の2ケタ連続奪三振はならなかった。「あの時に、我ながら欲がなかったと思いますわ」と後年のインタビューに答えている。
その10か月後に追いついたのが土橋だ。記録を作った試合で、伝説の沢村栄治の持つ1試合15奪三振のプロ野球記録(1937年)を21年ぶりに塗り替え(16)た。強打の西鉄打線相手に1回2死後の大下弘から4回1死後の中西太まで9人連続でKマークを刻んだ。それもストレート1本の力勝負だったという。“記録の神様”で筆者も同じ職場だった宇佐美徹也氏によると、10人目の打席に立った大下に捕手の安藤順三が「大下さん、頼むからもう1つやって下さいよ」と囁いたところ「ダメだ。今日はダメだ」と拒否。何とかバットに当てて二塁ゴロにしたという。
改めて土橋の投球を見てみると、ボール3となったのが9人目の中西、ボール2となったのが、5人目の和田博実だけ。9人の初球はすべてストライクで、9個中7個が空振りだった。カウント(ボール-ストライク)別では、0-2=2、1-2=5、2-2=1、3-2=1と投手有利に進め、トータルの球数は40球である。
ちなみに佐々木が9個目までに要した球数は、39球(13個では55球)。フルカウントにはなっていない。一方、梶本は、ボール3が3度もあり、全部で44球を要している。
この2人が快投を演じたとき、筆者は小学校入学前であり、記憶はない。私も含めて9連続奪三振といえば、1971年オールスター第1戦の江夏豊(阪神)だろう、しっかりとテレビの画面から目に焼き付けたという野球ファンは多いはず。上限3イニングの投球で全員を三振に斬ってとるのだから、まさに歴史に残る江夏の41球だった。さらに凄いのは、この年の第3戦でも登板。最初に対戦した代打・江藤慎一を空振り三振。実は前年の70年の第2戦の2回1死から3回まで5連続三振を奪っており、球宴では15連続という人間離れした奪三振ショーを繰り広げた。まさに夢の球宴に相応しい男だ。=記録は24年9月27日現在=(続)