「スポーツアナウンサーの喜怒哀楽」(10)-(佐塚 元章=NHK)

◎解説者上田利治さんと夜中まで野球談議

 前回のコラムで書いたように、昭和54(1979)年5月、平和台球場で私はプロ野球を初めて放送した。NHKの解説陣に加わった上田さんのデビューでもあった。私が初任地の徳島で初めて野球中継をしたのが上田さんの母校徳島海南高(現海部高)であったのも、不思議な縁だった。

 解説者になった上田さんは42歳、まだ元気いっぱいだった。放送が終わった後の「反省会」でも野球の話は止まらない。目から鱗が落ちる話ばかりであった。その中から3つご紹介したい。

 ある時、上田さんが「佐塚ちゃん!三塁ランナーとのヒットエンドランもあるんやで!」という。「一塁、二塁走者ではなく三塁の走者と? スクイズでもない。有り得ない!」と私は思った。上田さん曰く「1番福本が出るやろ!盗塁で二塁、2番大熊が犠牲バントで三塁に進む。ここで3番ウイリアムスとランナー福本にヒットエンドのサイン。内野ゴロで1点、ノーヒットの1点や」「先制機や終盤の1点差ゲームに使うんだ。キャンプからゴロを打つ練習を徹底し、サインもあるんや」。

 私の常識はもろくも崩れた。一般的に走者三塁の時は「ゴロ、GO!」で、打球がゴロになったら突っ込めがセオリーだ。最近になって勝負どころで、三塁走者とのヒットエンドランは、その名を「ギャンブルスタート」として戦術のなかで取り入れられるようになっている。1970年代の上田監督率いる阪急ブレーブスの先見性は実に驚くばかりだ。

 2つめは、阪急は相手投手のボールを持つ握りを綿密に観察し、手首の血管が浮いたら変化球と予測したそうだ。これは誰が見抜き、どのような方法で伝達したのかわからないが、上田さんは投手の腕の振りが45度にあがるまでに打者に知らせることができたら役立つ、と言ったのを覚えている。変化球と判れば盗塁の成功率も高い。世界の盗塁王福本のスタートを助けていたのかもしれない。

 もうひとつ面白い話は、上田さんは阪急の試合の放送を必ず奥さんに録画してもらっていた。帰宅し、手料理に舌鼓を打ちながらその放送を聞く。解説者に作戦を読まれていると感じたら反省し、逆に解説者が意味不明の解説をしていたら作戦は読まれていないとわかりビールが進んだそうだ。このような話を含め、実に楽しい野球談議だった。時計は午前零時を回り、時には実演入りのプレー解説まで聞かせてもらった。

 そんな上田さんのNHK解説は、実はわずか2年だけであった。「2年以上グランドを離れていたら、現場の感覚が鈍る、危機意識を感じたんや、ごめんな」。いかにも上田さんらしい別れの言葉だった。再び古巣阪急ブレーブス監督に復帰することになった。(続)