「インタビュー」柴田 勲(4)-(聞き手・露久保 孝一=産経)

◎高卒新人に「開幕第2戦に先発しろ」

-柴田さんは昭和37(1962)年に巨人に入団した。2月、宮崎でおこなわれた春季キャンプに参加しました。あこがれのプロの世界はどうだったですか?

柴 田「体操、ランニング、打撃練習は先輩の選手たちと同じくやっていけた。しかし、肩の状態がおかしくて投げる方でつまずいた。キャンプに入ってすぐ、肩が痛み出して辛いプロのスタートになったね」

-確か、高校(法政二)3年の夏の甲子園大会で肩が痛くなったと新聞記事にもなっていました。

柴 田「高校時代の後遺症で、キャンプに入ってすぐ、肩が痛くなって2月のキャンプ中は満足に投げられなかった。高校3年夏に無理しちゃったね。甲子園で準決勝で浪商と対決した。相手は尾崎行雄という評判の投手で、こちらは2年夏、3年春に優勝して3連覇がかかっていた。その試合で、途中から肩が痛み出しいやな感じだったが、何とか八回まで浪商を0点に抑えた。しかし九回に2点取られて追いつかれ、結局負けてしまった。悔しい思いをしたが、肩の痛みはどうしょうもなかった。それからずっと肩の状態が良くならず、巨人のキャンプに合流してからまた痛み出したのだ」

<柴田対尾崎はこの試合が甲子園3度目の対決だった。過去2度は柴田の法政二高が勝利した。3年柴田、2年尾崎の準決勝での対決は、柴田が浪商を抑え法政二が2-0で八回を終えた。しかし九回、浪商が同点に追いつき、延長十一回2点とって浪商が勝利した。柴田は右肩痛をこらえ最後まで投げぬいた>

-宮崎キャンプでは、右肩はずっと痛かったのですか。

柴 田「キャンプ中に痛みは治らなった。それでも、少しずつは投げていた。川上(哲治)監督から、もう投げ始めろと言われて投球練習をした。不安なピッチングだったが、練習しているうちに、痛みはなんとか和らぎ状態がよくなっているような感じはあった。それで、西鉄とのオープン戦に登板して、勝利投手になった」

-肩の痛みはなくなった?

柴 田「それが、西鉄に投げたあとまた痛くなった。困ったなあ、と思ったけど、川上さんに『痛い』とはいえない。川上さんからは『肩はどうだ、まだ投げられるな』と言われた。そのあと少したって、開幕が近づいた頃に、開幕第2戦に先発しろと告げられた。高卒の新人投手が、巨人軍の開幕第2戦の大事な試合の先発投手になったのだよ。僕は、いたって冷静だったが、周りが騒然とした。当時は別所毅彦、武宮敏明、牧野茂、荒川博さんとコーチは4人しかいなかったが、コーチが心配していた。川上監督からは、開幕までまだ1週間あるから投げ込みをしなさいと言われた。1日300球、2日間投げろ言われたのは驚いた。1日300球も、と愕然としながらも、川上さんの命令に従いました。さあ、開幕第2戦の日になった。相手の阪神は、村山実さんです。大投手と投げ合うことになった」(続)