◎沢村栄治は遠くなりにけり(菅谷 齊=共同通信)
「投手最高の栄誉」「投手のMVP(最優秀選手)」
沢村賞のことである。2024年は「該当者なし」。これは5年ぶり6度目のことだった。選考委員会の堀内恒夫委員長の説明はこうだった。
「多くの名前が出た。しかし、帯に短し、タスキに長しで、一本化できなかった。残念な結果だった」
委員会は2時間近くも話し合った。委員はほかに、山田久志、平松政次、斎藤雅樹、工藤公康。異例の長時間だったそうである。候補となったのは巨人の菅野智之、戸郷翔征、DeNAの東克樹、ソフトバンク有原航平、日本ハム伊藤大海の5人。
選考基準は7項目と多く①登板試合25②完投10③勝利15④勝率6割⑤投球回200⑥奪三振150⑦防御率2.50…と現在の投手にとって実に厳しい。
最後に残ったのは戸郷と有原。戸郷は26試合。勝率6割、奪三振156、防御率1.95で唯一4項目を達成した。そのほかはいずれも3項目をマークしたが、26試合で勝率6割6分7厘、防御率2.36の有原が最終に残った。
沢村賞はプロ野球草創期に剛球の巨人エースとして活躍した沢村栄治(京都商)を讃えて1947年(昭和22年)に設定された。
沢村はベーブ・ルースを三振に取り、プロ野球が始まった36年(昭和11年)に最初のノーヒットノーランを記録。代表的なシーズンは翌37年春季リーグで、30試合に登板し244回を投げ、24勝すべて完投、奪三振196、防御率0.81。チーム41勝の半分以上の勝利を挙げ、最初のMVP(記者選考)に選ばれた。
沢村は“球聖”とも呼ばれている。
選考委員会が苦しむのは「沢村という名前がある」からで、単に好成績だからいって選ぶことができない。最高レベルが最低条件といっていいだろう。
本格派の先発投手というのが基準でかなり前は20勝が当たり前だった。それを分業制、投球球などで登板する現在に当てはめるのはもうほとんど無理。なにしろ好調な先発投手をリードによって完投を避けて8回で交代させる時代である。個人記録よりチーム勝利。そういう起用が完封を少なくしており、先発完投の価値観が全く違っている。
沢村栄治は遠くなりにけり…なのである。(了)