「スポーツアナウンサーの喜怒哀楽」(11)-(佐塚 元章=NHK)

◎再び困惑の放送 全日本体操ボイコット事件

 このコラムの初回で、広島市民球場クモ男事件に遭遇したことを紹介したが、私のスポーツアナ人生でもうひとつ困惑した放送がある。

1991年11月3日、山形市で行われた第45回全日本体操選手権の中継である。決勝の女子自由演技競技直前に、朝日生命体操クラブの選手を除く18団体48選手が試合を棄権、ボイコットした。理由は体操連盟の運営が不公平であるという点にあった。

時の体操連盟の女子競技委員長は朝日生命体操クラブ代表の塚原光男さん、選手選考など現場は夫人の塚原千恵子さんがリーダーで、審判人事などもコントロールしていた。朝日生命の選手でなければ点数が出ない、オリンピック、世界選手権にも出られないというムードが漂っていた。

競技は午後4時に始まり、NHK総合テレビの全国放送も同時に中継を開始した。ところが 第1班で演技をしているのは優勝した朝日生命体操クラブ小菅麻里ただ1人という異常事態だった。

 問題はどう放送するかである。しかも、解説者はボイコットの矢面に立っている塚原光男さんなのだ。どのようなスタンスで放送すべきか!

こんな時、アナウンサーは孤独である。

私はまず報道として事実を速報し、試合はきちんと伝えなければいけないと考えた。冒頭で今起こっている状況を簡潔に説明し、その後の解説者紹介の顔出しでこの事態をどう考えるか塚原さんに聞いた。

塚原さんは「大人の世界の不満を、ボイコットという手段で選手を犠牲にするのは可哀そうだ」と述べた。

それ以上は聞かなかった。ボイコットの是非をこのスポーツ中継で深入りしたら、塚原さん、つまり協会執行部糾弾のトーンになり、中継はとんでもない方向に進んでしまうことを心配した。

2時間の中継をなんとか終えたが、なんとも言えない複雑な気持ちだった。「あの放送でよかったのか?状況説明のコメントは?塚原さんへのインタビューは?」今も困惑している。

 10年ほど前、私はアナウンサー引退の挨拶でその時の苦悩を塚原夫妻に手紙で伝えた。千恵子さんから返事が来た。

「そんなに苦労されたとは知らなかったです。旦那が迷惑かけたかも。アナウンサーさんにも歴史があるのね」

今、朝日生命は体操から全面撤退し、「塚原体操クラブ」としてリスタートした。2024年秋、新聞の訃報欄を見て驚いた。千恵子さんが9月1日に天国に旅立っていた。77歳だった。(続)

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