「たそがれ野球ノート」(18)-(小林 秀一=共同通信)
◎レジ―のプレゼント
江夏豊氏は現役を引退したあと、米大リーグに挑んだ。
今の若い野球ファンはMLBにすっかりなじんでいるものの、かつての大投手が目指したことはあまり知らない。同行取材したたそがれ記者としては、それでは教えましょう、とコラムで取り上げた。
前回は日本取材陣との緊張関係などに触れたが、日が経つにつれ関係は良化していった。未知の生活にも慣れ、体も順調に仕上がってきて、ようやく余裕が生まれてきたのだろう。
キャンプ地のサンシティに常駐していた日本人記者は私を含めて4人のほか、テレビ局1社のスタッフ。人数が絞らてきたこともあって、夕食はほぼ毎日そろって出かけるようになった。ワインを飲みながらワイワイ騒ぐ輪の中で、酒の飲めない江夏氏はいつもにこやかにしていた。貴重な息抜きの場にもなったのだろう。
ある日、記者の部屋ですき焼きを囲むことになった。手分けして買い出しをし、さあ鍋を始めようとしたら、関東風か関西風で大もめ。まさかアリゾナの砂漠の真ん中でこんな論争が巻き起ころうとは、忘れられない思い出話だ。
さて、江夏氏はジャイアンツ相手のオープン戦に初登板し2回を無安打に抑えたものの、日本で18年間に206勝193セーブをマークした豪腕はすでに限界を迎えていた。開幕が近づくにつれ打者の調子が上がってくると苦しいマウンドが続き、オープン戦6試合目のエンゼルス戦の翌日、球団代表に呼ばれて選手枠から外れることが伝えられた。
この最後の試合でメジャーを代表する強打者のレジ―・ジャクソンに左前安打を打たれ、試合後本人からその時のバットが手渡された。不思議なプレゼントだったが、君の夢はこれで終わった、という意味だと江夏氏は解釈した。このバットはいまだに自宅に飾ってある。
こんなオチまでついた昔話を若者たちは面白がって耳を傾けてくれ、たそがれ記者はところどころで当時を思い出し、感慨にひたりながら話すことができた。(了)