「大リーグ見聞録」(83)-(荻野 通久=日刊ゲンダイ)

◎日米で野球殿堂入り、イチローの「心臓」

▽「バットで黙らせた」

今年(2025年)1月の日米球界の大きな話題のひとつがイチローの殿堂入りだろう。日米とも現役を引退して5年が経過すると資格を得る。稀代のヒットメーカーとして、プロ野球とMLBで数々の記録を樹立しているだけに、殿堂入りは確実。注目は満票を集めるかどうかだ。日本では初。大リーグでは2019年のマリアーノ・リベラ(ヤンキース、歴代1位の通算652セーブ)一人だけ。イチローが満票なら野手では初めて。もちろん、日本人としても第1号だ。

2001年、イチローがオリックスからマリナーズに移籍したとき、活躍を疑問視するMLB関係者は少なくなかった。パワーがなく、コツコツとヒットを打つイチローのバッティングスタイルを「Hitting Julie(ヒッティング ジュリー。ジュリーは女性の名前。女みたいに弱弱しい打ち方の意)」と揶揄する声をあった。今回、殿堂入り候補に挙がったイチローについて、MLBのHPはそうした当時の声を「バットで黙らせた」と紹介している。

▽「大丈夫ですよ」とさらり

イチローには強く印象に残っていることがある。オリックス入団の3年目(1994年)、イチローは開幕からヒットを量産してレギュラーの座をつかみ、一躍、注目を集めた。そのイチローが初めて関東圏に遠征してきたときだ。運動部のデスクだった私は若手記者を西武ドームに行かせ、イチローの単独取材を指示した。ところが彗星のように現れた新星に在京のマスコミが殺到。マイナー媒体のゲンダイの取材は「次に関東地方に来た時に、と広報に言われ、先送りとなりました」と球場から連絡があった。

グラウンドでイチローを捕まえた記者がその旨伝えた。次回の上京は約1か月後。そのころは打率も下がり、取材のチャンスもなくなると心配したのだ。するとイチローはこともなげにこう答えたそうだ。

「大丈夫ですよ、次に(関東に)来るときにもちゃんと打ってますから」

私も現役時代、売り出し中や活躍し出した若手を取材した。同じような話をしても「頑張ります」とか「次も取材してもらえるように」と言うのがほとんど。謙遜なのか、本音なのかはともかく、イチローのような答えをした若手は初めて見聞きした。その言葉通り、イチローはその後も打ち続け、打率3割8分5厘で首位打者になった。

「気持ちが体を動かす」とはスポーツの世界ではよく言われる。イチローの並み外れた技術を支えたのは、その「強いメンタル」。今から思えば、プロ野球3年目にしてMLBでの活躍は約束されていたのかも知れない。

殿堂入りの発表は日本が16日、MLBが21日(現地)である。(了)