「記録の交差点」(21)-(山田 收=報知)

第20回 宮西尚生③
前人未到の412ホールド(H)を刻み、2025年シーズンも更に記録を上乗せするであろう宮西が今シリーズの主人公だが、彼の視線の先には常に岩瀬仁紀(中日1999~2018)
がいた。大きな目標として「ホールドの数よりも岩瀬さんの1002試合登板を目指したい」と発言している。
現役最多の869試合登板を記した17年間を振り返って「岩瀬さんの記録があったから、心折れずにやってこられた。近づくにつれ遠く感じる凄い記録」と感慨深げに語っている。
その頂点まで、あと133試合登板である。25年シーズン中に40歳を迎える宮西がこの高い壁を超えるのは並大抵ではないだろう。
ルーキーだった2008年から21年まで14年連続50試合登板(パ記録)をマークしたが、その後3年は、故障等もあり24、31、30と低空飛行である。年30試合平均だと5年かかる。34試合平均なら4シーズンで達成だが、その時、年齢は43歳。実働21年で追いつくわけだ。1年1年が勝負の年齢になって4年は厳しい。そこに挑戦するのが鉄人たる所以だろう。
では、その途方もない数字を積み上げてきた岩瀬仁紀とはどんな投手なのか。と私が書くより、皆さんの方が詳しいだろう。25年1月、イチローとともにプレーヤー表彰で野球殿堂入りした。1002試合登板、通算407セーブ(S)は圧倒的なプロ野球記録。9年連続30S、3年連続40S(サファテと並ぶ)もプロ野球記録だ。シーズン46Sはセ記録と、クローザーとして眩いばかりの実績を残した。
これらの数字を実働19年で積み上げた。しかも大学・社会人を経てのプロ入りで、44歳になるシーズンまで投げ続けたのである。話は逸れるが、岩瀬は愛知県西尾市出身。衣浦リトル―西尾市立寺津中(軟式)―愛知県立西尾東高―愛知大―NTT東海―中日とすべて愛知県のチームでプレーした❝フランチャイズプレーヤー❞だ。ドラゴンズファンにしてみれば「最高のオラが故郷のピッチャー」に違いない。
ところが、岩瀬は根っからの投手ではない。高校では4番でエースだが、大学では監督から「1年から試合に出られる、というので」外野手が主戦場。大学日本代表候補合宿の常連だった。3年秋からは外野手と投手の二刀流だったという。愛知大学リーグでは、ベストナインに4度選出(外野手)。通算打率.323、124安打を放ったが、リーグ安打記録にあと1本届かず、「社会人では投手でいこう、と思った」という。
NTT東海(現NTT西日本)では1年目は故障で試合に出られず、徹底したトレーニングに明け暮れ、2年目には球速がグンと上昇、プロ注目の存在になった。話が前後するが、大学時代のエピソードとして、よく語られるのが、4年生だった1996年9月16日のナゴヤ球場。中日―阪神戦の試合前のファンによるスピードガンコンテストに登場。134㌔、136㌔を計測してスタンドをざわつかせたという。なにか、漫画みたいなアマチュア時代のストーリーだ。
で、1998年のドラフト2位(逆指名)で中日に入団。1年目の春季キャンプでのこと。ブルペンで中村武志が投球を受けることになった。その1球目のストレートが手元でグッと変化。レギュラー捕手が受けそこねて、なんと突き指をしてしまったという。動くストレートと曲がりの鋭いスライダーを武器に開幕1軍キップを手にした。だが、デビュー戦でプロの洗礼に遭う。=記録は2024年シーズン終了時点=(続)