◎予告先発の功罪(菅谷 齊=共同通信)

先発投手の「予告制度」は1980年代半ばから始まっている。
歴史を簡単に振り返ると、85年にパ・リーグが「日曜日の試合」のみに採用。10年後に全試合となった。セ・リーグが取り入れたのは2012年。パからもう40年を経ている。
パがこれを導入した理由は観客動員政策である。人気面でセには全く歯が立たず、経営にもろに響いていた。前後期の2シーズン制もその一つだった。パは2リーグとなった50年シーズンのチームはとっくに消えており、苦労の連続の歴史でもあった。
予告先発はファンに浸透している。先発投手は芸能の舞台の主役にあたるから、主人公を見に行くのと同じといっていい。主役の名前のない舞台だったら…チケットはあまり売れないだろう。
かつてプロ野球は試合直前に発表されていた。球場に行って座席に座り、試合開始30分前に先発投手が場内アナウンスで名前を告げられる。この瞬間のワクワク感は予告先発では味わえない。前日に続くエースの連投ということもあり、プロ野球のすごさ、勝負への執念が伝わってきたものである。
開幕戦で新人投手が先発したときは場内が大いに盛り上がった。62年、後楽園での開幕日は巨人-阪神のダブルヘッダーだったが、巨人は2試合ともルーキーが先発マウンドに上がった。第1試合が城之内邦雄(サッポロビール)、第2試合は柴田勲(法政二高)。あの堅物の川上哲治監督が歴史を作った。
城之内は最初の5年間で100勝を超え、豪快なフォームとキレ味のよさから“エースのジョー”の異名を取った。柴田は2年目からスイッチヒッターの盗塁王に姿を変え、出塁すると赤い手袋をはめるところから“怪盗赤い手袋”と呼ばれ2000安打を記録した。二人ともV9のメンバーである。
日本シリーズではこんなエピソードもあった。エースが腕に包帯をして相手チームに第1戦の登板無理を見せつけた。ところが翌日先発として登板。これもプロらしい駆け引きで話題を生んだ。
先発投手についてはさまざまな意見があり、年代によって異なる。オールドファンは「だれが投げるのか」と期待する方が少なくない。メディアも取材合戦で活気が出る。だから予告制度の功罪をつい考えてしまう。
現在は試合の前日に連盟から先発投手が発表される。故障や体調不良が認められれば回避可能だが、3日間の出場停止のペナルティが付く。(了)