「100年の道のり」(91)プロ野球の歴史-(菅谷 齊=共同通信)
◎ラビットボール
まるで敗戦のウサを晴らすような空中戦だった。1949年(昭和24年)からホームランが乱れ飛んだ。1リーグ最後のこの年、8球団が放った本塁打は874本(1球団平均109本)で、前年の391本(49本)から倍増だった。
本塁打王の本数も、48年の青田昇と川上哲治の巨人コンビが打った25本に対し、49年は阪神の藤村冨美男が46本と大幅に増えた。藤村に続いて同僚の別当薫が39本、東急の大下弘38本、中日のコンビで西沢道夫37本、杉山悟31本となっている。
ボールが異常に飛んだのである。まるでウサギのように。そこから“ラビットボール”と呼ばれた。それまで細々と打っていた打球がポンポンと外野スタンドに突き刺さった。ファンは喜んだ。34年に来日したベーブ・ルースら大リーガーの打ちっぷりをほうふつさせ、それは敗戦で落ち込んだ雰囲気をガラリと変えた。
ラビットボール時代の最高潮は翌50年である。この年、セ・パ2リーグ(セ8球団、パ7球団)となったこともあって本塁打数はさらに増えた。セ933本、パ624本。両リーグで1557本(1球団平均103本)だった。
本塁打王はセが松竹の小鶴誠で51本。初の50本代だった。続いて西沢の46本、藤村と岩本義行(松竹)の39本。パは毎日に移籍した別当の43本。2位は近鉄の森下重義が30本でセに対して大人しかった。
ラビットボール時代(49-50年)とその前後(50年からセ・パ)の本塁打記録を挙げておく。
48年 49年 50年 51年
▽総 数 391 874 セ933 セ506
パ624 パ369
▽1球団平均 49 109 セ117 セ 72
パ 89 パ 53
▽チーム最多 95 141 セ179 セ105
パ124 パ 71
▽チーム最少 25 67 セ 66 セ 36
パ 69 パ 37
当然、投手の防御率に響いている。
48年 49年 50年 51年
▽リーグ防御率 2.79 3.98 セ4.12 3.85
パ3.78 3.11
ラビットボール時代は簡単にいえば“超打高投低”の時代だった。天国を謳歌したホームラン打者に対し、投手は地獄の2シーズンといえた。ファンはプロ野球の醍醐味を味わったときでもあり、本塁打の価値を球界が知った。(続)
